0106
第1ヴァッリー 死の神への三つの願い
第1節
ヴァージャシュラヴァサの子は、果報を望んで、持てるものすべてを捧げる祭りを行った。彼にはナチケータスという名の息子がいた。
第2節
布施の牛が祭官たちのもとへ引かれていくとき、まだ少年だったナチケータスの心に信の思いが入り込んだ。彼は考えた。
第3節
水を飲み尽くし、草を食べ尽くし、乳を出し尽くし、子も産めなくなった牛。そのような牛を捧げる者が行き着く先は、喜びのない世界だ。
第4節
彼は父に言った。「お父さん、私を誰にお与えになるのですか」。二度、三度と重ねて問うと、父は言い放った。「おまえは死神にくれてやる」
第5節
ナチケータスは思った。「多くの者の先頭に立って、私は行く。多くの者のただ中にあって、私は行く。死の神ヤマにはなすべきことがあるのだろう。今日、この私によって何を果たすのだろう」
第6節
先人たちがどうであったかを振り返り、後に続く人々がどうであるかを見てください。人は穀物のように実って朽ち、穀物のように再び生まれてきます。
第7節
バラモンの客が家に入るのは、火が入るのと同じこと。心ある者はその火を鎮めるために礼を尽くす。ヴァイヴァスヴァタよ、水を運びなさい。
第8節
愚かな者の家にバラモンが食事も与えられずにとどまるなら、その者の望みも、当てにしていたものも、交友も、真実の言葉も、祭りと善行の果報も、息子も家畜も、すべてが奪い去られる。
第9節
バラモンよ、敬うべき客であるあなたは、三晩、何も食べずに私の家にとどまった。その償いに、三つの願いを選ぶがよい。あなたに礼拝を。そして私に幸いがありますように。
第10節
ナチケータスは言った。「死の神よ、第一の願いとしてこれを選びます。父ガウタマの怒りが解けて心が安らぎ、あなたのもとから帰された私を、いつものように迎えてくれますように」
第11節
ヤマは言った。「私の力により、父ウッダーラカ・アールニは、以前と変わらずおまえを愛するだろう。死の口から解き放たれたおまえを見て、怒りを捨て、夜ごと安らかに眠るだろう」
第12節
ナチケータスは言った。「天の世界には、いかなる恐れもありません。そこにあなたはおらず、老いにおびえる者もいない。飢えと渇きのふたつを越え、悲しみを離れて、人々は天の世界で喜びに満ちています」
第13節
死の神よ、あなたは天に導く火の祭りを知っておられる。信を抱く私に、それを教えてください。天の世界に生きる人々は不死を受ける。これを第二の願いとして選びます。
第14節
ヤマは言った。「ナチケータスよ、おまえに告げよう。私から学ぶがよい。天に導く火を知る者は、無限の世界に至り、その礎を得る。この火が秘められた場所に宿ることを知れ」
第15節
ヤマは、世界の始まりであるその火のことを彼に語った。祭壇に積む煉瓦の種類と数と積み方を。ナチケータスは、告げられたとおりをそのまま唱え返した。死の神は満足して、ふたたび口を開いた。
第16節
寛大なヤマは喜んで言った。「いま、さらにひとつの願いをおまえに与えよう。この火の祭りは、これからおまえの名で呼ばれるだろう。そして、この色とりどりの首飾りを受け取るがよい」
第17節
三度ナチケータの火を焚き、三者との結びを保ち、三つの務めを果たす者は、生と死を越える。ブラフマンから生まれたすべてを知る、あがめられるべき神聖な火を知り、それを積み上げる者は、永遠の安らぎを得る。
第18節
三つのナチケータの火を知り、それを知って火壇を積む者は、死の縄を身にまとう前に投げ捨てて、悲しみの届かない天の世界で喜ぶ。
第19節
ナチケータスよ、これがおまえの選んだ第二の願い、天に導く火である。人々はこの火をおまえの名で呼ぶだろう。さあナチケータスよ、第三の願いを選ぶがよい。
第20節
ナチケータスは言った。「人が死んだあとについて、こんな疑いがあります。ある者は、その人は在ると言い、ある者は、在らないと言う。あなたに教えていただいて、これを知りたいのです。これが、願いの三つ目です」
第21節
ヤマは言った。「それは、神々でさえ、かつて疑ったところだ。微妙なことがらであって、容易には理解できない。ナチケータスよ、別の願いを選べ。私を困らせるな。その願いは手放してくれ」
第22節
ナチケータスは言った。「神々でさえ疑い、死の神よ、あなたでさえ容易に分からないと言われる。しかし、これを語れる師は、あなたのほかに見つかりません。これに並ぶ願いなど、ほかにひとつもありません」
第23節
ヤマは言った。「百年生きる息子や孫を選べ。牛の群れを、象を、黄金を、馬を選べ。大地の広い領土を選べ。そしておまえ自身、望むだけの歳月を生きるがよい」
第24節
これに等しい願いがあると思うなら、富と長い命を選べ。ナチケータスよ、広い大地の上で栄えるがよい。あらゆる欲望をかなえる者に、私がしてやろう。
第25節
人の世で得がたい望みは、何なりと望むがよい。楽の音を奏で、車を連ねた美しい乙女たち。このような者たちは、人間には決して得られない。私が与えるこの者たちに、かしずかれるがよい。だが、死については問うな。
第26節
ナチケータスは言った。「死の神よ、それらは明日には消え去るもの。あらゆる感官の力をすり減らすものです。どれほど長くても、命はただ短い。車も、踊りも、歌も、あなたのもとに置いておかれるがよい」
第27節
富によって人が満たされることはありません。あなたにまみえた今となって、どうして富を求めるでしょう。あなたが治めるかぎりの寿命を、どうして望むでしょう。私が選ぶ願いは、ただあれだけです。
第28節
老いることのない不死の者たちのもとに来て、朽ちていく身で地上に住む者が、色と欲の楽しみをつくづくと思いめぐらしたうえで、長いだけの命を喜ぶものでしょうか。
第29節
死の神よ、人々が疑うあのこと、あの大いなる死後の世界に何があるのかを、教えてください。この隠された領域に踏み込む願いのほかは、ナチケータスは何も選びません。
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第2ヴァッリー 善きものと快いもの
第1節
ヤマは言った。「善きものと快いものとは、別のものだ。このふたつは異なる目当てをもって、人を縛る。善きものを取る者には、幸いが訪れる。快いものを選ぶ者は、人の生の目当てそのものを取り逃がす」
第2節
善きものと快いものは、ともに人のもとへやって来る。思慮深い人はふたつをつくづくと見比べて、より分ける。そうして思慮深い人は、快いものより善きものを選ぶ。愚かな者は、手に入れて抱え込もうと、快いものを選ぶ。
第3節
ナチケータスよ、おまえは、快いもの、快く見えるものをよく思いめぐらしたうえで、そのすべてを捨て去った。多くの人が沈んでいく、富という道に、おまえは入らなかった。
第4節
無明と呼ばれるものと、知と呼ばれるもの。このふたつは大きく隔たり、行き着く先を異にする。ナチケータスは知を求める者だと、私は思う。あれほどの快楽も、おまえを引き裂けなかったのだから。
第5節
無明のただ中にありながら、自分は賢く、よく学んだと思い込む愚かな者たちは、盲人に導かれる盲人たちのように、よろめきながら、ぐるぐるとさまよい歩く。
第6節
富の迷いに惑わされた思慮なき者に、あの世への渡りは見えてこない。この世だけがあり、あの世はない。そう思い込む者は、繰り返し繰り返し、私の支配に落ちてくる。
第7節
多くの者は、その存在について聞くことさえかなわない。聞いても、多くの者は理解できない。それを語れる人は驚くべき人であり、それに達する人は巧みな人である。巧みな師に教えられて、それを知る人も、驚くべき人である。
第8節
劣った者が語るなら、それは、いくら思いめぐらしても容易には知られない。しかし、ほかの語り手がいなければ、そこへ至る道はない。それは、微細なものよりさらに微細で、論理の及ぶところではないのだから。
第9節
愛しい者よ、この知は、議論によっては得られない。まことを知る者が語るとき、はじめてよく分かる。おまえはいま、それを手にしている。おまえの決意はまことに固い。おまえのような問い手が、いつも私のもとへ来てくれるように。
第10節
ナチケータスは言った。「宝と呼ばれるものは移ろいゆくものだと、私は知っています。永遠でないものによって、永遠なるものは得られません。それでも私はナチケータの火を積み、移ろうものによって、移ろわないものに至りました」
第11節
ヤマは言った。「欲望の成就も、世界の礎も、祭りの果てしない果報も、恐れのない岸も、讃えられる大いなるものも、広い住まいも、安らぎも、おまえは見たうえで、その固い決意によって、すべてを捨て去った」
第12節
見がたく、奥深くに入り込み、洞窟に隠れ、深淵に立つ、あの太古なるもの。思慮深い人は、自己にかかわるこのヨーガによってそれを神と悟り、喜びと悲しみを後に残す。
第13節
死すべき人がこれを聞いて正しくつかみ、本質ならざるものをより分けて、この微細なるものに達するなら、喜ぶべきものを得て喜ぶ。ナチケータスよ、おまえには、その住まいの扉が開かれていると私は思う。
第14節
ナチケータスは言った。「法でもなく、法ならざるものでもない。なされたことでも、なされないことでもない。過ぎたことでも、来たることでもない。あなたがそのように見ているもの、それを語ってください」
第15節
ヤマは言った。「すべてのヴェーダが伝えるあの言葉。すべての苦行が語るあの言葉。それを求めて人々が清らかな学びの生活を送る、あの言葉。それを、手短におまえに告げよう。それは、オームである」
第16節
この音節こそブラフマンであり、この音節こそ最高のものである。この音節を知る者には、望むものが何であれ、その手に入る。
第17節
これは最も勝れたよりどころ、これは最高のよりどころである。このよりどころを知る者は、ブラフマンの世界において大いなる者となる。
第18節
知る者であるこの自己は、生まれることなく、死ぬこともない。何かから生じたのでもなく、何かがそれになったのでもない。太古より在って、生まれず、常住で、永遠なるもの。身体が殺されても、それが殺されることはない。
第19節
殺す者が、自分は殺すと思うなら、殺される者が、自分は殺されると思うなら、そのどちらも分かっていない。これは殺すこともなく、殺されることもない。
第20節
微細なものより微細で、大いなるものより大きい自己が、生きるものの心の奥に宿っている。欲を離れた人は、感官と心が澄みわたるとき、自己の威光を見て、悲しみを離れる。
第21節
坐したままで遠くへ行き、横たわったままであらゆるところへ赴く。喜びに満ち、また喜びを離れてもいるその神を知りうる者が、私のほかにいるだろうか。
第22節
身体の中にあって身体を持たず、移ろうものの中にあって移ろわない、大いにして遍く満ちる自己。それを悟る思慮深い人は、悲しむことがない。
第23節
この自己は、教えを説き聞かせても、頭のよさによっても、多くの学びによっても得られない。自己が選んだその人によってこそ、自己は得られる。自己はその人に、おのれの姿を現すのである。
第24節
悪しき行いをやめない者、心の静まらない者、精神を集めない者、また心の安らがない者は、いくら知恵をめぐらせても、これに達することはできない。
第25節
バラモンも武人もともにおのれの糧とし、死をふりかけの塩とする者。その者がどこにいるのかを、いったい誰が知りえよう。
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第3ヴァッリー 魂の車
第1節
おのれの行いの果報を味わうふたつのものが、心の奥の洞窟に入り、最も高いところに住んでいる。ブラフマンを知る人々は、それを影と光と呼ぶ。五つのナチケータの火を積む家長たちも、そう呼ぶ。
第2節
祭りを行う人々の懸け橋であるナチケータの火。そして、恐れのない岸へ渡ろうと願う人々の、最高にして不滅のブラフマン。そのふたつを、私たちがきわめられますように。
第3節
自己を車主と知れ。身体を車と知れ。知性を御者と知れ。そして思考を手綱と知れ。
第4節
感官は馬であり、感官の対象は、馬の駆ける道であると言われる。身体と感官と思考に結ばれたものを、思慮深い人々は享受者と呼ぶ。
第5節
分別を持たず、思考の手綱をいつも引き締めずにいる者の感官は、御しがたい。御者にとっての、悪い馬のように。
第6節
分別を持ち、思考の手綱をいつも引き締めている者の感官は、よく制せられている。御者にとっての、良い馬のように。
第7節
分別を持たず、心を留めず、いつも清らかでない者は、かの場所に達することなく、生まれ変わりの流れに入っていく。
第8節
分別を持ち、心を留め、いつも清らかである者は、かの場所に達する。そこからは、もう再び生まれることがない。
第9節
分別を御者とし、思考を手綱として持つ人は、旅路の果てに達する。それが、ヴィシュヌの最高の歩みである。
第10節
感官よりも対象が高く、対象よりも思考が高く、思考よりも知性が高く、知性よりも大いなる自己が高い。
第11節
大いなるものよりも、未顕現なるものが高く、未顕現なるものよりも、プルシャが高い。プルシャより高いものは何もない。それが行き着く果て、最高の帰りどころである。
第12節
この自己は、あらゆる生きるものの中に隠れていて、姿を現さない。しかし、鋭く微細な知性による、微細を見る人々には見える。
第13節
賢い人は、言葉を思考のうちに収めよ。思考を知の自己のうちに収めよ。知を大いなる自己のうちに収めよ。そしてそれを、寂静の自己のうちに収めよ。
第14節
起きよ、目覚めよ。すぐれた者たちに近づいて、知れ。剃刀の研がれた刃は渡りがたい。この道は険しく、越えがたいと、詩人たちは語る。
第15節
音もなく、触れられもせず、形もなく、朽ちることもなく、味もなく、常住で、香りもないもの。始まりも終わりもなく、大いなるものよりも高く、揺らぐことのないもの。それを悟った者は、死の口から解き放たれる。
第16節
死の神が語り、ナチケータスが受けたこの太古の物語を、語り、また聞いた賢い人は、ブラフマンの世界において大いなる者となる。
第17節
この最高の秘密を、バラモンたちの集いで、あるいは祖霊の祭りのときに、心を込めて朗誦する者には、果てしない果報がもたらされる。果てしない果報がもたらされるのである。
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第4ヴァッリー 内なる自己
第1節
ヤマは言った。「みずから在るものは、感官の窓を外へ向けて開けた。それゆえ人は外を見て、内なる自己を見ない。しかし、不死を願うある賢い人は、目を閉ざして、内なる自己を見た」
第2節
思慮なき者たちは外の快楽を追いかけ、張りめぐらされた死の網にかかる。だが賢い人々は、不死なるものを知って、移ろわないものを、ここにある移ろうものたちの中には求めない。
第3節
形を、味を、香りを、音を、触れる感触を、交わりの喜びを、人はこれによって知る。ならば、これに知られないものが、この世に何か残っているだろうか。まことに、これがそれである。
第4節
夢の中でも、目覚めているときでも、人がもろもろの対象を見るのは、この大いにして遍く満ちる自己によってである。それを知る思慮深い人は、もう悲しまない。
第5節
蜜を味わうこの命あるものを、いつも近くにある自己として、過ぎたことと来たることの主として知る者は、それからはもう、おののかない。まことに、これがそれである。
第6節
熱の力から水よりも先に、最初に生まれ、心の洞窟に入ってそこにとどまり、生きるものたちとともに立つもの。それを見た者は見る。まことに、これがそれである。
第7節
もろもろの神々をおのれとし、命の息とともに現れ、心の奥に立つアディティ。生きるものたちとともに生まれた、そのアディティを見た者は見る。まことに、これがそれである。
第8節
ふたつの火起こしの木に宿る、すべてを見る火の神は、母に守られる胎の子のように大切に抱かれ、日ごとに、目覚めて捧げ物を持つ人々にあがめられる。まことに、これがそれである。
第9節
太陽がそこから昇り、そこへと沈むところ。そこにすべての神々は結ばれていて、そこを越え出るものは、何ひとつない。まことに、これがそれである。
第10節
ここにあるものは、かしこにもある。かしこにあるものは、ここにもある。ここに差異があるかのように見る者は、死から死へとさまよっていく。
第11節
これは、ただ心によってこそ達せられる。ここには、いかなる差異もない。ここに差異があるかのように見る者は、死から死へとさまよっていく。
第12節
親指ほどの大きさのプルシャが、身体の真ん中に宿っている。過ぎたことと来たることの主。それを知る者は、それからはもう、おののかない。まことに、これがそれである。
第13節
親指ほどの大きさのプルシャは、煙のない炎のようなもの。過ぎたことと来たることの主。それは今日も在り、明日も在る。まことに、これがそれである。
第14節
山の尾根に降った雨水が、岩々を伝ってあらゆる方へ流れ落ちるように、ものごとをばらばらに見る者は、ばらばらなものを追って、あらゆる方へ走り去っていく。
第15節
清らかな水に注がれた清らかな水が、そのまま同じ水であるように、ガウタマよ、知に達した聖者の自己も、それと同じである。
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第5ヴァッリー 十一の門の都
第1節
十一の門を持つ都がある。生まれることなく、曲がりのない心を持つものの都である。その主を念じる者は、もう悲しまない。すべての縛めから解かれて、自由になる。まことに、これがそれである。
第2節
白鳥として輝く天に住み、ヴァスとして大気に住み、祭官として祭壇に住み、客として家に住む。人の中に住み、神々の中に住み、祭りの秩序の中に住み、虚空に住む。水に生まれ、大地に生まれ、祭りから生まれ、山々から生まれる。それが、大いなる真理である。
第3節
上へと息を導き、下へと息を投げ返し、真ん中に坐す、この小さきもの。それを、すべての神々があがめている。
第4節
身体に宿るこのものが、身体からほどかれて離れ去るとき、あとに何が残るだろう。まことに、これがそれである。
第5節
上る息によっても、下る息によっても、人が生きているのではない。このふたつがそこに憩う、別のものによって、人は生きている。
第6節
さあ、ガウタマよ、おまえに告げよう。秘められた永遠のブラフマンのことを。そして死を迎えたあと、自己がどうなるのかを。
第7節
あるものは、身体を得るために母胎へ入る。あるものは、動かないものの中へ入っていく。その行いのままに、その学びのままに。
第8節
眠る者たちの中に目覚めていて、望みのままに姿から姿を形づくるプルシャ。それこそが清らかなるもの、それこそがブラフマン、それこそが不死と呼ばれる。すべての世界はそこに結ばれ、そこを越え出るものは何ひとつない。まことに、これがそれである。
第9節
ひとつの火が世界に入って、燃やすものごとにその姿を変えるように、すべての生きるものの内なるひとつの自己は、入るものごとにその姿を変える。そして、その外にもある。
第10節
ひとつの風が世界に入って、入るものごとにその姿を変えるように、すべての生きるものの内なるひとつの自己は、入るものごとにその姿を変える。そして、その外にもある。
第11節
世界の目である太陽が、目に映るものの汚れに汚されないように、すべての生きるものの内なるひとつの自己は、世界の苦しみに汚されない。それは、その外にあるからである。
第12節
唯一の支配者、すべての生きるものの内なる自己は、おのれのひとつの姿をさまざまに変えていく。その主がおのれの内に立つのを見る思慮深い人々に、永遠の幸せはある。ほかの者たちには、ない。
第13節
移ろうものたちの中の、移ろわない一。心あるものたちの中の、心ある一。多くのものの願いを、ただひとつでかなえるもの。その主がおのれの内に立つのを見る思慮深い人々に、永遠の安らぎはある。ほかの者たちには、ない。
第14節
これがそれだ、としか言いようのない、言葉を越えた最高の喜び。それをどのようにして知りえよう。それはみずから輝くのか。それとも、輝きを映して見えるのか。
第15節
そこでは太陽も輝かず、月も星も輝かず、稲妻も輝かない。まして、この火が輝くはずもない。それが輝くとき、すべてはそれにならって輝く。その光によって、この世界のすべては照らされている。
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第6ヴァッリー 不死への道
第1節
根を上へ、枝を下へ伸ばす、太古からのイチジクの聖樹がある。それこそが清らかなるもの、それこそがブラフマン、それこそが不死と呼ばれる。すべての世界はそこに結ばれ、そこを越え出るものは何ひとつない。まことに、これがそれである。
第2節
世界にあるかぎりのすべては、命から出て、命の中で震えている。それは、振り上げられた雷にも似た、大いなる恐れである。これを知る者たちは、不死となる。
第3節
その恐れによって、火は燃える。その恐れによって、太陽は熱する。その恐れによって、インドラも、風も、そして五番目の死も、走り続けている。
第4節
身体が崩れ落ちるより前に、この世でこれを悟りえた者は、自由になる。悟りえなかった者は、創られた世界で、ふたたび身体を受ける。
第5節
鏡の中のように、この身体の中で。夢の中のように、祖霊の世界で。水の中のように、ガンダルヴァの世界で。光と影の中のように、ブラフマンの世界で、それは見られる。
第6節
もろもろの感官はそれぞれに生じ、それぞれに現れては沈む。感官が自己とは別のものであることを知って、思慮深い人は、もう悲しまない。
第7節
感官よりも思考が高く、思考よりも知性が高く、知性よりも大いなる自己が高く、大いなるものよりも未顕現なるものが高い。
第8節
未顕現なるものよりもさらに高く、遍く満ちて、いかなるしるしも持たないプルシャがある。それを知って、生きるものは解き放たれ、不死に至る。
第9節
その姿は、見えるところには立たない。目でこれを見る者は、誰ひとりいない。心によって、澄んだ思いによって、それは受け取られる。これを知る者たちは、不死となる。
第10節
五つの知の感官が思考とともに静まり立ち、知性も動かないとき。それが、最高の境地と呼ばれる。
第11節
この、感官をゆるぎなく保つことを、人はヨーガと考える。そのとき、心を乱さずにいなければならない。ヨーガは、来ては去っていくものだから。
第12節
それは、言葉によっても、思考によっても、目によっても達せられない。「それは在る」と語る者のもとでなければ、どうしてそれが捉えられよう。
第13節
まず「それは在る」と、そのように捉えるべきである。そのとき、そのまことの姿への道が開かれる。「それは在る」と捉えた者に、そのまことの姿は、おのずから現れてくる。
第14節
心に宿るすべての欲望が捨て去られるとき、死すべき者は不死となる。この世にありながら、ブラフマンに達する。
第15節
この世で、心のすべての結び目がほどかれるとき、死すべき者は不死となる。教えは、ここに尽きる。
第16節
心臓には、百と一の脈管がある。そのうちのひとつだけが、頭の頂へと貫いている。それを上って行く者は、不死に至る。ほかの脈管は、あらゆる方への旅立ちとなる。
第17節
親指ほどの大きさのプルシャ、内なる自己は、いつも人々の心臓に宿っている。草の茎から、しなやかな芯を抜き取るように、確かな心で、それをおのれの身体から抜き出すがよい。それを、清らかなるもの、不死なるものと知れ。そう、それを、清らかなるもの、不死なるものと知れ。
第18節
こうしてナチケータスは、死の神から伝えられたこの知と、ヨーガの定めのすべてを受け取り、ブラフマンに達して、汚れを離れ、死を離れた。自己にかかわるこの教えを知る者は、誰であれ、またそのようになる。
