0109
序歌と二つの争い
ムーサへの序歌(1-10行)
ピエリアのムーサたちよ、歌によって誉れを与える女神たちよ、ここに来て、父なるゼウスを語り、その讃えを歌ってほしい。人の子が名を得るも得ないも、歌われるも歌われないも、ひとえに偉大なゼウスの御心のままである。ゼウスはたやすく人を強め、たやすく強い者を挫く。たやすく驕る者を低くして、目立たない者を引き上げ、たやすく曲がった者をまっすぐにし、傲る者を枯らす。高くに雷鳴を轟かせ、いと高き宮に住まうゼウスよ。見そなわし、聞こし召して、裁きを正義によって正したまえ。そしてわたしは、ペルセースに、まことのことを語ろう。
二つの争い(11-24行)
思えば、争いの女神エリスは一柱ではなかった。地上には二柱がいる。一方は、分かる人が見れば讃えたくなる女神。もう一方は責められて当然の女神で、二柱の心はまるで別のものである。片方は残忍で、忌まわしい戦と闘争を育てる。この女神を愛する人間はいないが、不死なる神々の意志により、人はいやおうなく、この重いエリスを敬わねばならない。だがもう一方は、暗い夜の女神ニュクスが先に生んだ姉娘で、天高くに座すクロノスの子が大地の根に据えた。こちらは人間にとって、はるかに善い女神である。この女神は、働く気の起きない者さえ仕事へと駆り立てる。仕事を持たない者でも、耕し、植え、家をよく整えようと励む富んだ隣人を見れば、おのずと働きたくなるからだ。隣人は、富を急ぐ隣人と競い合う。このエリスは人間のためになる。こうして陶工は陶工に腹を立て、大工は大工に張り合い、乞食は乞食を妬み、歌人は歌人を妬むのである。
ペルセースへの呼びかけ(25-41行)
ペルセースよ、このことを心に刻め。悪意を喜ぶあのエリスに、おまえの心を仕事から引き離させるな。広場の争いごとを覗き見して、聞き耳を立てている場合ではない。デメテルの実り、大地の産む一年分の糧を、時に先んじて蔵に収めていない者に、いさかいや訴訟にかまける暇などないのだ。それを十分に蓄えてから、他人の財をめぐって争いを起こすなら起こすがよい。だが、おまえにはもう二度目はない。今ここで、ゼウスから出た何よりも正しい、まっすぐな裁きによって、二人の争いに決着をつけようではないか。わたしたちはすでに遺産を分けた。それなのにおまえは、それ以上を掴んで持ち去った。こんな訴えを喜んで裁く、賄賂を呑み込む領主たちの威光を、大いに膨らませながら。愚か者どもよ。半分が全体よりどれほど多いかも、葵とアスポデロスのうちにどれほど大きな恵みがあるかも、彼らは知らないのだ。
0209
プロメテウスとパンドラ
隠された火(42-59行)
神々は人間から、暮らしの糧を隠している。そうでなければ、おまえは一日働くだけで、働かずとも一年を暮らせるだけの糧をたやすく手にできただろう。すぐにも舵を煙の上に吊るし、牛と辛抱強い騾馬の耕す畑は、荒れるにまかせたはずだ。だがゼウスは、狡猾なプロメテウスに欺かれたとき、心に怒って糧を隠した。それゆえ、人間のために悲しみと災いを謀ったのである。ゼウスはまず火を隠した。だがイアペトスの雄々しい子は、それを人間のために、思慮深いゼウスのもとから、うつろな大茴香の茎に忍ばせて盗み返した。雷を喜ぶゼウスは気づかなかった。のちにそれを知った、雲を集めるゼウスは、怒って彼に言った。
「イアペトスの子よ、誰よりも知恵の回る者よ。火を盗み、わたしを出し抜いたことを喜んでいるな。だがそれは、おまえ自身にも、これから生まれる人間どもにも、大きな災いとなる。火の代価として、わたしは人間どもに一つの災いを贈ってやろう。彼らはみな、おのれの破滅を抱きしめながら、心でそれを喜ぶだろう」
パンドラの創造(60-82行)
そう言って、人と神々の父は高らかに笑った。そして名高いヘパイストスに命じて、急ぎ土を水で捏ねさせ、そこに人間の声と力を入れ、顔は不死の女神たちに似せて、愛らしく美しい乙女の姿を作らせた。アテナには機織りと、綾なす布を織る技を教えさせ、黄金のアプロディテには、その頭に優美と、切ない恋情と、手足を萎えさせる思い煩いとを注がせた。そして案内者ヘルメス、アルゴス殺しの神には、恥知らずの心と偽りの性根を、その胸に仕込むよう命じたのである。
こう命じると、神々は主なるクロノスの子ゼウスに従った。名高い足萎えの神はただちに、クロノスの子の思し召しのとおり、慎ましい乙女に似せて土を形づくった。輝く目の女神アテナが帯を締めて衣を着せ、神々しいカリスたちと気高いペイトーが黄金の首飾りをかけ、髪美しいホーラたちが春の花々を頭に飾った。パラス・アテナは、その姿をあらゆる装いで整えた。そして案内者アルゴス殺しは、雷轟くゼウスの思し召しのままに、その胸に嘘と、口説きの言葉と、偽りの性根を仕込み、神々の使者はこの女に声を与えた。そして、この女をパンドラと名づけた。オリュンポスに住まう神々がみな、それぞれの贈り物をこの女に与え、パンを食べる人間どもの災いとしたからである。
甕と希望(83-105行)
この、どうにも逃れようのない罠を仕上げると、父なるゼウスは、神々の速い使者、名高いアルゴス殺しに贈り物として持たせ、エピメテウスのもとへ届けさせた。エピメテウスは、オリュンポスのゼウスからの贈り物は決して受け取るな、人間への災いになりかねないから送り返せと、プロメテウスに言われていたことを思い出さなかった。受け取ってしまい、災いがすでにわが身のものとなってから、悟ったのである。
それまで、人間の種族は地上で、災いから遠く、つらい労苦もなく、人に死の運命を引き寄せる重い病も知らずに暮らしていた。悲惨のうちにあっては、人はたちまち老いるものなのだ。ところが女が甕の大きな蓋をその手で開けると、災いは散り散りに飛び出し、人間たちに悲しみと苦難をもたらした。ただ希望だけが、壊れることのない住まい、甕の縁の内側にとどまり、戸口から飛び出さなかった。その前に、アイギスを持ち雲を集めるゼウスの思し召しによって、甕の蓋が希望を押しとどめたのである。だが残りの数えきれない災いは、人間たちのあいだをさまよっている。大地は災いに満ち、海も満ちている。病は昼となく夜となく、おのずから人間を訪れ、声もなく災いを運ぶ。思慮深いゼウスが、病から声を取り上げたからだ。こうして、ゼウスの意志から逃れるすべは、どこにもない。
0309
五時代
黄金の種族(106-126行)
望むなら、もう一つの話を、要を得て巧みに語って聞かせよう。心に刻むがよい。神々と、死すべき人間とが、同じ源から生まれたということを。
はじめに、オリュンポスに住まう不死の神々は、黄金の種族を作った。言葉を持つ人間の、最初の種族である。クロノスが天に君臨していた時代のことだ。彼らは神々のように、心に憂いなく、労苦からも悲しみからも遠く離れて生きた。惨めな老いが訪れることもなく、手足は衰えを知らず、あらゆる災いの届かないところで宴を楽しんだ。死ぬときは、眠りに包まれるようだった。あらゆる善きものが彼らのものだった。実り豊かな大地はおのずから、惜しみなくふんだんに実りを結び、彼らは安らぎと平和のうちに、多くの善きものに恵まれ、羊の群れに富み、祝福された神々に愛されて、おのれの土地に暮らしたのである。
やがて大地がこの種族を覆い隠すと、彼らは大いなるゼウスの思し召しによって、地上に住まう清らかな精霊となった。善き守り手として災いを払い、死すべき人間を見守る者。霞をまとって大地をあまねく巡り、裁きと非道な行いを見張る者。富を与える者。この王者の誉れもまた、彼らの受けたものである。
銀の種族(127-142行)
次いで、オリュンポスの宮に住まう神々は、第二の、銀の種族を作った。黄金の種族よりはるかに劣り、姿も心も似ていない種族である。子どもは百年ものあいだ、優しい母のそばで、まったくの幼な子のまま、家の中で遊んで育てられた。だが、ようやく育ちきって盛りの齢に達しても、彼らはその愚かさゆえに、ほんのわずかな時しか生きられなかった。互いに非道を働くことをやめられず、不死の神々に仕えようともせず、祝福された神々の聖なる祭壇に犠牲を捧げることもしなかったからである。それは、どこに住もうと、人の行うべき定めであるのに。そこでクロノスの子ゼウスは怒り、彼らを葬り去った。オリュンポスに住まう祝福された神々に、誉れを捧げなかったからだ。
やがて大地がこの種族も覆い隠すと、彼らは地下に住まう祝福された者たちと、人々に呼ばれるようになった。第二の位ではあるが、彼らにもまた、誉れが付き従うのである。
青銅の種族(143-155行)
そこで父なるゼウスは、第三の、青銅の種族を作った。言葉を持つ人間の種族で、銀の種族には似ても似つかない。とねりこの木から生まれた、恐ろしくも力強い種族である。彼らはアレスの嘆かわしい業と暴虐を愛した。パンを食べることなく、心は金剛のように硬い、荒ぶる者たちだった。その力は大きく、頑健な体の肩からは、誰にも屈しない腕が伸びていた。武具は青銅、家も青銅、道具も青銅で作られていた。黒い鉄は、まだなかったのである。彼らは互いの手にかかって滅び、冷たいハデスの湿った館へと下り、名を残さなかった。恐るべき者たちであったが、黒い死が彼らを捉え、彼らはまばゆい太陽の光をあとにしたのだ。
英雄の種族(156-173行)
大地がこの種族も覆い隠すと、クロノスの子ゼウスは、実り豊かな大地の上に、第四の種族を作った。前の種族より気高く、正しい種族。神にも似た英雄たちの種族で、半神と呼ばれる。果てしない大地の上で、わたしたちのすぐ前に生きた種族である。彼らの一部は、忌まわしい戦と恐ろしい合戦が滅ぼした。ある者はカドモスの地、七つの門のテーベで、オイディプスの遺した羊の群れをめぐって戦って果て、ある者は髪美しいヘレネのために、船で大海の淵を越えてトロイアへ運ばれ、そこで死の帳に包まれた。だが残りの者たちには、父なるクロノスの子ゼウスが、人間から遠く離れた住まいと暮らしを与え、大地の果てに住まわせた。彼らは憂いに触れることなく、深く渦巻くオケアノスのほとり、幸せな者たちの島々に住んでいる。恵み豊かな大地が、蜜のように甘い実りを年に三度も結ぶ、幸いなる英雄たち。クロノスが彼らを治めている。人と神々の父が、その縛めを解いてやったからである。彼らにもまた、等しく誉れと栄光が付き従う。
そして遥かを見はるかすゼウスは、豊かな大地の上に、さらにもう一つ、第五の人間の種族を作った。
鉄の種族(174-201行)
ああ、わたしは五番目の種族のなかに、生まれ合わせたくなどなかった。それより前に死んでいるか、あとから生まれてくればよかったのだ。今はまさに、鉄の種族の時代なのだから。人々は昼は労苦と悲嘆に休みなく、夜は滅びゆく。神々は重い心労を与え続けるだろう。それでも、彼らの災いにも、いくらかの善きものは混ざるはずだ。だがこの種族もまた、生まれながらにこめかみへ白髪をいただくようになったとき、ゼウスが滅ぼすだろう。父は子と心が合わず、子は父と合わず、客人はもてなす主人と、友は友と合わず、兄弟も、かつてのように親しい者ではなくなる。人々は、たちまち老いていく親を侮り、むごい言葉でなじり立てる。神々への畏れを知らない、心の硬い者たち。育ててもらった恩を、年老いた親に返そうともしない。力こそが正義となり、人は人の町を掠めるだろう。誓いを守る者にも、正しい者にも、善い者にも恵みはなく、むしろ悪をなす者と、その暴虐とが讃えられる。力が正義となり、慎みは消え失せる。悪しき者が優れた者を傷つけ、偽りの言葉を語り、その上に誓いまで立てる。妬みが、口汚く、悪意を喜び、顔をしかめて、惨めな人間たちの誰彼となく付きまとう。そのときアイドスとネメシスは、美しい姿を白い衣に包み、道広い大地を捨てて人間を見放し、オリュンポスへ、不死の神々の群れへと去っていく。あとに残されるのは苦い悲しみだけ。悪を防ぐ手立ては、もはやどこにもない。
0409
正義の勧め
鷹と小夜啼鳥(202-212行)
さて今度は、王侯たちに寓話を語ろう。彼ら自身、わきまえのある者たちなのだから。鷹が、斑の首の小夜啼鳥にこう言った。爪でしかと掴み、雲の高みへ連れ去りながら。曲がった爪に貫かれて、小夜啼鳥が哀れに泣き叫ぶと、鷹は見下すように言い放ったのである。「妙な奴だ、なぜ喚く。おまえは今、はるかに強い者の手の内にある。歌い手だろうと何だろうと、わたしの連れて行くところへ行くのだ。気が向けば食ってもいいし、放してやってもいい。強い者に張り合おうとする者は愚かだ。勝てもしないうえに、恥に加えて苦しみまで味わうのだから」。速く飛ぶ鷹、翼長い鳥はそう言った。
正義は暴虐に勝つ(213-224行)
だがペルセースよ、おまえは正義に耳を傾け、暴虐を育てるな。暴虐は貧しい人間には毒であり、富める者でさえ、たやすくは担いきれず、破滅の妄執に落ちたとき、その重みに押しつぶされる。それよりも、反対側を通って正義へ向かう道のほうがよい。走り抜いてゴールにたどり着くとき、正義は暴虐に勝つのだから。愚か者は、痛い目を見てはじめてそれを知る。曲がった裁きには、たちまち誓いの神ホルコスが追いすがる。賄賂を呑み込む者どもが、曲がった裁きで判決を下し、正義の女神を引きずり回すとき、そこにどよめきが起こる。女神は霞をまとい、泣きながら町へ、人々の住まいへとついて行き、おのれを追い出した者たち、まっすぐに扱わなかった者たちに、災いをもたらすのである。
正しい町と不正の町(225-247行)
よそから来た者にも土地の者にも、まっすぐな裁きを下し、正義の道を踏み外さない者たち。彼らの町は栄え、民は町のうちに花開く。子らを育む平和がその地に満ち、遥かを見はるかすゼウスが、彼らに惨い戦を定めることは決してない。まっすぐな正義を行う者たちには、飢饉も災厄も付きまとうことがなく、彼らは心も軽く、丹精した畑の実りを味わう。大地は彼らに糧を豊かに実らせ、山では樫の木が、梢にどんぐりを、幹の半ばに蜜蜂を宿す。羊たちは毛をたっぷりと重くまとい、女たちは親に似た子を産む。彼らは尽きることなく善きものに栄え、船に乗って旅立つこともない。穀物を与える大地が、実りを結んでくれるからである。
だが、暴虐と非道な業にふける者たちには、遥かを見はるかすクロノスの子ゼウスが罰を定める。悪事を働き、驕りの企てをなす一人の悪人のせいで、町ぜんたいが苦しむことも、しばしばあるのだ。クロノスの子は天から、彼らの上に大きな災いを、飢饉と疫病とを一度に下す。民は死に絶え、女たちは子を産まなくなり、家々は減っていく。オリュンポスのゼウスの謀りごとによって。またあるときは、彼らの大軍を、あるいは城壁を、あるいは海の上の船々を、クロノスの子が滅ぼすのである。
三万の見張りとゼウスの目(248-273行)
王侯たちよ、あなたがたもまた、この罰をよくよく心に留めるがよい。不死の神々は人間のすぐ近くにいて、曲がった裁きで人を虐げ、神々の怒りを意に介さない者たちを、一人残らず見ているのだから。豊かな大地の上には、ゼウスの遣わした三万の不死の見張りがいる。死すべき人間たちの見張り役である。彼らは霞をまとって大地をあまねく巡り、裁きと非道な行いを見張っている。そして、乙女なる正義の女神ディケがいる。ゼウスの娘で、オリュンポスに住まう神々に敬われ、尊ばれる方。誰かが女神を偽りの誹りで傷つけるたび、女神はすぐさま父なるクロノスの子ゼウスのかたわらに座して、人間たちの不正な心を告げる。民が、王侯たちの狂気の償いをさせられるまで。悪意を抱いて裁きを捻じ曲げ、曲がった判決を下す王侯たちの、その償いを。王侯たちよ、これを恐れて、裁きの言葉をまっすぐにせよ。賄賂を呑み込む者たちよ、曲がった裁きなど、きれいさっぱり忘れてしまえ。
人に災いを謀る者は、おのれに災いを謀っている。悪しき企みは、企んだ本人をこそ最も傷つけるのだ。
すべてを見て、すべてを悟るゼウスの目は、御心のままに、今このときも見ている。町がそのうちに抱えているこの裁きが、どのようなものであるかも、見逃してはおられない。今の世がこうなら、わたし自身も、わたしの息子も、人々のあいだで正しい者ではいたくないものだ。不正な者のほうが大きな正義を手にするのなら、正しくあることは災いでしかない。だが、思慮深いゼウスが、まだそこまでのことをお許しになるとは、わたしは思わない。
獣には力を、人には正義を(274-285行)
ペルセースよ、おまえはこのことを心に刻み、正義に耳を傾けて、暴虐のことはきっぱりと忘れよ。クロノスの子は人間に、この掟を定めたのだから。すなわち、魚と獣と翼ある鳥たちには、互いに食らい合うことを。彼らのうちには正義がないからだ。だが人間には、何にもまして善きものである正義を与えた。正しいことを知り、進んでそれを語る者には、遥かを見はるかすゼウスが繁栄を与える。だが、証言に立ってわざと偽りを誓い、正義を傷つけて、取り返しのつかない罪を犯す者は、のちに続く家系が翳んでいく。誓いを守る者の家系は、のちの世にいっそう栄えるのである。
0509
労働と処世
悪徳への道と美徳への道(286-292行)
愚かなペルセースよ、おまえのためを思って言おう。劣悪なら、群れをなして、たやすく手に入る。道は平らで、すぐ近くに住んでいるからだ。だが美徳の前には、不死の神々が汗を置いた。そこへ至る道は長く険しく、登り始めはでこぼこ道だ。それでも頂に達すれば、それからは楽になる。あれほど険しかった道も。
働くことは恥ではない(293-319行)
何ごとも自分で考え、あとになって、また終わりに何がより善いかを見きわめる者。その人こそ最も優れている。善い助言者に耳を傾ける者も、また善い。だが、自分で考えもせず、人の言葉を心に留めもしない者。そんな者は役立たずである。ともかくおまえは、わたしの言いつけをいつも忘れずに働け、生まれのよいペルセースよ。飢えに憎まれ、冠美しい尊きデメテルに愛されて、穀倉を糧で満たしてもらえるように。飢えは、怠け者にはいつでもお似合いの連れなのだから。働かずに生きる者には、神々も人間も腹を立てる。性根からして、針を持たない雄蜂と同じだからだ。働きもせずに食べて、蜜蜂たちの労苦を食いつぶす者たち。おまえは、ほどよく仕事を整えることを心がけよ。季節ごとに穀倉が糧で満ちるように。働けばこそ、人は羊の群れにも財にも富む。そして働いてこそ、不死の神々にも人にも、はるかに愛されるのだ。働くことは恥ではない。恥は、働かないことだ。おまえが働けば、怠け者はやがて、富んでいくおまえを妬むだろう。富には誉れと栄光が付き従う。どんな身の上であろうと、働くことがいちばんよい。心得違いの心を他人の財から引き離し、わたしの言うとおり、仕事に向けて暮らしを立てるならば。悪い恥は、貧しい者の連れである。恥は人を大いに損ないもすれば、栄えさせもする。恥は貧しさとともにあり、自信は富とともにあるのだ。
奪った富は栄えない(320-341行)
財は、掠め取るものではない。神々の与える財こそ、はるかによい。腕ずくで大きな富を奪う者も、舌先で盗み取る者も——利得が人の分別を欺き、恥知らずが恥を踏みにじるとき、よくあることだ——神々はたちまちその者を消し去り、その家を衰えさせる。富がその者に付き従うのは、ほんのわずかなあいだにすぎない。庇護を求める者や客人に悪をなす者も、兄弟の褥に上がって、その妻とひそかに道ならぬ交わりをする者も、思慮を欠いて父のない子らを害する者も、老いの暗い敷居に立つ年老いた父を、むごい言葉でなじり立てる者も、みな同じ。まことにゼウス自身がその者に怒り、ついには、その非道な業に重い報いを課すのである。だがおまえは、心得違いの心を、そうしたことからきっぱりと引き離せ。そして力の及ぶかぎり、清く穢れなく、不死の神々に犠牲を捧げ、立派な腿肉を焼くがよい。また折にふれて、神酒と香を捧げて宥めよ。床に就くときも、聖なる光が戻ってくるときも。神々がおまえに恵み深い心を向けてくださるように。そして、おまえが人の地所を買うことはあっても、人がおまえの地所を買うことのないように。
隣人と与え合いの心得(342-380行)
宴には友を呼べ。敵は捨て置け。とりわけ、近くに住む者を呼ぶがよい。村で何ごとかが起きたとき、隣人は帯も締めずに駆けつけるが、縁者は帯を締めてからやって来るのだから。悪い隣人は災難であり、良い隣人は大きな恵みである。良い隣人に恵まれた者は、得がたい宝を得た者だ。隣人が悪くなければ、牛の一頭も失われはしない。隣人からは正しく量って借り、正しく量って返せ。同じ量りで、できるなら、より多く。そうすれば後で困ったとき、頼れる相手が見つかるだろう。
あくどい儲けを求めるな。あくどい儲けは、破滅と変わらない。好意を寄せる者には好意を返し、訪ねてくる者は訪ねよ。与える者には与え、与えない者には与えるな。与える人には誰もが与えるが、握って放さない人には誰も与えない。「与え」は良い娘、「奪い」は悪い娘で、死をもたらす。進んで与える人は、たとえ大きなものを与えても、その贈り物を喜び、心は晴れやかだ。だが恥知らずに任せて奪い取る者は、たとえ小さなものでも、心が凍りつく。あるものに積み足していけば、目を光らせる飢えを遠ざけられる。わずかなものでも、わずかずつ積み重ね、それをたびたび行えば、やがてそれは大きくなるのだから。家に蓄えのある人は、思い煩わずにすむ。物は家に置くほうがよい。外にあるものには、損失がつきものだ。手元にあるものから取るのは良いが、無いものを欲しがるのは心の痛み。よくよく心に留めよ。甕を開けたばかりのときと、尽きかけたときには存分に飲み、半ばでは控えよ。底まで来てからの節約は、みじめな倹約である。
友への報酬は、約束のとおりに定めておけ。兄弟が相手でも、笑いながら、証人を立てよ。信じすぎも疑いすぎも、等しく人を滅ぼすのだから。
艶めかしく着飾った女に、心を欺かれるな。甘い言葉でまくし立てながら、女が狙うのはおまえの穀倉だ。女を信じる者は、欺く者を信じる者である。
家を養う息子は、一人であってほしい。そうすれば家の富は増していく。二人目の息子を残すつもりなら、長生きしてから死ぬことだ。とはいえゼウスは、多くの子らにも、たやすく大きな富を与えてくださる。人手が増えれば働きも増え、実入りも増えるのだから。
0609
農事暦
プレイアデスの合図(381-413行)
心のうちで富を願うなら、このとおりに行え。そして、仕事の上に仕事を重ねて働け。
アトラスの娘たち、プレイアデスが昇るとき、刈り入れを始めよ。そして沈もうとするとき、耕作を始めよ。プレイアデスは四十の夜と昼のあいだ隠れ、年がめぐると再び姿を現す。人がはじめて鎌を研ぐころに。これが平野の掟である。海の近くに住む者にも、荒れる海から遠い、谷あいの豊かな土地に住む者にも変わりはない。種を蒔くのも裸、耕すのも裸、刈り入れるのも裸でやれ。デメテルの実りをすべて時に適って取り入れ、それぞれの作物を季節どおりに育てたいのなら。そうしなければ、あとで困窮して他人の家々に物乞いして回り、何も得られないことになる。ちょうど今、おまえがわたしのところへ来たように。だが、わたしはもう何もやらないし、量り増しもしてやらない。愚かなペルセースよ、働け。神々が人間に定めた仕事を。さもないと、いつの日か、妻子を連れ、心も苦しく、隣人たちに暮らしの糧を乞うて回り、しかも相手にされないことになる。二度や三度は、うまくいくかもしれない。だがそれ以上わずらわせれば、もう何も得られず、口数ばかり多く、言葉の巧みも無駄に終わる。それよりも、負債を払い、飢えを避ける道を探せと、わたしは言いたい。
まずは、家と、女と、耕す牛を手に入れよ。女は妻ではなく、牛を追わせる買われた女だ。そして家のうちに、道具ひとそろいを調えておけ。人に借りようとして断られ、こちらは手立てを欠き、そのうちに季節は過ぎて、仕事が実らないことのないように。今日の仕事を明日、明後日へと延ばすな。仕事をおろそかにする者、先延ばしにする者は、穀倉を満たせない。励んでこそ、仕事は捗る。仕事を延ばす者は、いつも破滅と組み打ちしているのだ。
木を伐り、犂を備える(414-447行)
太陽の刺すような力と、蒸すような暑さが和らいで、全能のゼウスが秋の雨を送るころ——人の体はずっと軽くなる。惨めに生まれついた人間たちの頭の上を、シリウスの星が昼はわずかに渡るだけで、夜を長く領するようになるからだ——そのころに斧で伐った木は、虫がつきにくい。葉を地に落とし、伸びるのをやめたころである。忘れずに木を伐れ。それがこの仕事の季節だ。臼は三尺に、杵は三腕尺に、車軸は七尺に切れ。それがちょうどよい。八尺に切るなら、そこから槌の頭もとれる。十掌の幅の荷車には、三あたの輪木を切れ。曲がり材もたくさん伐っておけ。そして犂の曲がり柄になる木を、山でも畑でも、見つけたら家へ持ち帰れ。柊樫のものを探すのだ。アテナに仕える大工がその柄を犂床に留め、木釘で長柄に継げば、牛に牽かせる犂として、これがいちばん強い。犂は二台こしらえて、家で手を入れておけ。一台は一木造り、一台は継ぎ合わせのもの。そのほうがずっとよい。片方を折っても、もう片方に牛をつなげるからだ。長柄には、月桂樹か楡が最も虫を寄せない。犂床には樫を、曲がり柄には柊樫を使え。牛は、九歳の雄を二頭手に入れよ。その齢なら力は衰えておらず、働き盛りである。いちばんよく働いてくれる。畝の中で喧嘩をして犂を折り、仕事をやりかけで投げ出したりもしない。牛のあとには、四十路の壮健な男をつけよ。四つ割りにした八切れのパンを、昼飯に持たせて。仕事に身を入れ、まっすぐな畝を引く男。仲間にきょろきょろと気を取られる齢を過ぎて、心を仕事に向ける男を。種蒔きで蒔き重ねを避けることにかけて、これより若い者のほうが上手いということはない。若い男は、仲間のことが気になって落ち着かないものだ。
鶴が告げる耕作のとき(448-492行)
心に留めよ、鶴の声を。年ごとに、雲の高みから響いてくる、あの声を。鶴は耕作の合図を与え、雨の冬の季節を告げる。だがその声は、牛を持たない男の心を噛む。そのときこそ、小屋の中で、角の曲がった牛たちを肥やしておくときだ。「牛と荷車を貸してくれ」と言うのはたやすい。「牛には仕事がある」と断るのもたやすい。空想ばかり豊かな男は、荷車などもう組み上がったつもりでいる。愚か者め。荷車一台は百の材からなることを知らないのだ。先んじて、家にその材を蓄えておくことを心がけよ。
耕作の時節が人々に告げられたら、すぐに急げ。おまえも奴僕たちも一緒に、濡れた日も乾いた日も、耕作の季節のうちに耕すのだ。朝は早くから身を起こせ。畑が実りで満ちるように。春にも耕せ。夏に起こした休耕地は、期待を裏切らない。休耕地は、土がまだ軽いうちに種を蒔け。休耕地は災いを払う守りであり、子どもらをなだめる母である。
はじめて耕しにかかるとき、犂の柄の端を手に取り、軛の革紐で長柄を牽く牛たちの背に鞭をあてるときには、地下のゼウスと清らかなデメテルに祈れ。デメテルの聖なる穀物が、充実して重くなるように。奴僕を一人、すぐ後ろに鍬を持たせて従わせ、種を土に隠させて、鳥たちを困らせてやれ。よき段取りは、死すべき人間にとって何よりの善であり、悪い段取りは何よりの悪なのだから。こうしておけば、穂は実りの重みで、地に向かって頭を垂れるだろう。オリュンポスの神が、最後によき結果を与えてくださるならば。おまえは貯蔵の甕から蜘蛛の巣を払い、蓄えた糧を取り出しながら、喜びを噛みしめるはずだ。そうして灰色の春が来るまで十分に食いつなぎ、よそを羨ましげに見ることもない。むしろ他人のほうが、おまえの助けを必要とするだろう。
だが、冬至のころになってようやく良い土を耕すようなら、おまえは座り込んだまま、わずかな穂を手に握って刈ることになる。埃まみれで、束ね方もちぐはぐで、喜びもなく。持ち帰りはひと籠ですみ、感心してくれる者もほとんどいない。とはいえ、アイギスを持つゼウスの御心はそのときどきで移ろい、死すべき人間には計りがたい。遅く耕してしまっても、こういう救いがあるかもしれない。樫の葉かげで郭公がはじめて鳴き、果てしない大地の上で人々を喜ばせるころ、三日目にゼウスが雨を降らせ、牛の蹄の跡を越えもせず、足りなくもならないところまで降りやまなければ、遅く耕した者が、早く耕した者と張り合えるのだ。このすべてを、よく心に留めよ。灰色の春の訪れも、雨の季節も、見逃すことのないように。
冬の鍛冶場を横目に(493-535行)
冬のあいだは、鍛冶場や、人だかりのする溜まり場は素通りせよ。寒さが野良仕事を阻む季節にこそ、精を出す者は家を大いに栄えさせられるのだから。厳しい冬に、手の施しようもないまま貧しさに捕まり、腫れた足を、痩せた手でさするようなことにならないように。働きもせず、空頼みにすがる者は、暮らしの糧に事欠いて、心に悪事を溜め込むものだ。確かな暮らしのあてもないのに、安楽に寝そべっている困窮した男。そんな男に付き添う希望は、ろくな希望ではない。
まだ夏の半ばのうちに、奴僕たちに言い渡しておけ。「夏はいつまでも続かない。小屋を建てておけ」と。
レナイオンの月は避けよ。どの日も、牛の皮を剥ぐような日々だ。避けよ、ボレアスが大地に吹きつけるころの、容赦のない霜の日々を。北風は、馬を育むトラキアを越えて広い海に吹き渡り、海をかき立てる。大地も森も咆哮する。山あいの谷では、葉を高く茂らせた樫にも太い松にも襲いかかり、豊かな大地へなぎ倒す。そのとき、広大な森はことごとく唸りをあげる。獣たちは震えあがり、尾を脚のあいだに巻き込む。毛皮に覆われた獣たちでさえ、そうなのだ。北風は鋭い息で、毛深い胸をも吹き通す。牛の皮さえ突き抜けて、止まりはしない。細い毛の山羊も吹き通す。だが羊だけは、毛が豊かにあるおかげで、鋭いボレアスの風も突き通せない。老人の背は、この風が車輪のように曲げてしまう。それでも、柔肌の乙女は吹き通されない。家の中、愛しい母のそばにとどまり、黄金のアプロディテの業をまだ知らず、柔らかな肌を洗い、油を塗って、家の奥の間に休んでいる娘は。そのころ、骨なしは、火のない家、わびしい住まいで、おのれの足をかじっている。太陽が、草場へ導いてくれないからだ。太陽は浅黒い人々の国と町の上を巡り、ヘラスの民すべての上には、鈍く輝くばかり。角のある獣も、ない獣も、森に住む者たちは哀れに歯を鳴らし、茂みや谷あいを逃げまどう。どの獣の心配もただ一つ、厚い茂みか、うつろな岩かげに隠れることだけだ。そのとき彼らは、背が折れて頭が地面を向いた、あの三本足さながらに、白い雪を逃れてさまようのである。
冬の装いと明けの霧(536-563行)
そのころは、わたしの言うとおり、柔らかな上着と、足まで届く肌着を着て体を守れ。細い経糸に、緯糸を厚く織り込んだ布がよい。それをまとえば、体の毛は逆立ちも震えもしない。
足には、屠った牛の革で作った、ぴったり合う靴を紐で結べ。内側には毛氈を厚く張って。霜の季節が来たら、初子の子山羊の皮を牛の腱で縫い合わせ、背に掛けて雨を防げ。頭の上には、形よく作った毛氈の帽子をかぶり、耳が濡れないようにせよ。ボレアスがひとたび襲いかかれば、夜明けは冷える。夜明けには、星満ちる天から実り豊かな霧が降りて、祝福された者たちの畑の上に広がる。霧は、絶えず流れる川々から汲み上げられ、風の嵐で大地の高くへ巻き上げられて、夕暮れには雨になることもあれば、トラキアのボレアスが厚い雲をひしめかせて追うときには、風になることもある。その風より先に仕事を終えて、家路につけ。天からの黒い雲がおまえを包み、体を湿らせ、衣まで濡らすことのないように。これを避けよ。この月は一年でいちばん厳しい、嵐の月。羊にもつらく、人間にもつらい月なのだから。この季節には、牛の飼料はいつもの半分に、だが人の食事は増やしてやれ。助けとなる長い夜があるからだ。年が果てて、夜と昼の長さが等しくなり、万物の母なる大地が、ふたたびさまざまな実りを結ぶときまで、これを守り通すがよい。
春の剪定と刈り入れ(564-581行)
冬至のあと、ゼウスが六十の冬の日々を数え終えると、アルクトゥルスの星が、オケアノスの聖なる流れをあとにして、夕暮れどきに、はじめて燦然と昇る。それに続いて、パンディオンの娘、甲高く嘆く燕が、人々の前に姿を見せる。春が、まさに始まろうというときだ。燕が来るより前に、葡萄の木を剪定しておけ。それがいちばんよい。
だが、家運びがプレイアデスから逃れて、地面から草木をよじ登るころになったら、もう葡萄畑を掘り起こす季節ではない。鎌を研ぎ、奴僕たちを急き立てよ。刈り入れの季節、太陽が肌を灼くころには、日陰の腰掛けも、夜明けまで眠る朝寝も避けよ。そのときは忙しく立ち働き、実りを家へ運べ。暮らしを確かなものにするために、朝は早く起きよ。夜明けは、仕事の三分の一を受け持ってくれる。夜明けは旅路をはかどらせ、仕事をはかどらせる。夜明けこそ、現れては多くの人を道に就かせ、多くの牛に軛を置く者なのだから。
夏の木陰から葡萄の取り入れまで(582-617行)
アザミが花をつけ、おしゃべりな蝉が木にとまって、翼の下から高く澄んだ歌を絶え間なく注ぐころ。うんざりするような暑さの季節には、山羊はいちばん肥え、葡萄酒はいちばん甘い。女たちはいちばん奔放になり、男たちはいちばん弱る。シリウスが頭と膝を灼き、肌は熱で乾いてしまうからだ。だがそのときには、岩かげと、ビブリスの酒があればよい。乳の凝りと、乳を涸らした山羊の乳。森で草を食み、まだ子を産んだことのない若い牝牛の肉と、初子の子山羊の肉。それに輝く酒を、木陰に座って飲むのだ。心ゆくまで食べて、顔をさわやかなゼピュロスに向けて。そして、絶えず流れて濁ることのない泉から、三度は水を注いで捧げ、四度目には酒を献じよ。
力強いオリオンがはじめて姿を現したら、奴僕たちに、デメテルの聖なる穀物を風選りさせよ。風通しのよい場所の、よく均した打ち場で。それを量って、甕に収めよ。すべての糧を家の内に納め終えたら、雇い人は外に出し、子のない召使い女を探すことだ。乳飲み子を抱えた召使いは、厄介なのだから。鋭い歯の犬も大事にせよ。餌を惜しむな。惜しめばいつか、昼寝男に蓄えを持っていかれる。飼い葉と敷き藁は、牛と騾馬に足りるだけ運び込んでおけ。それがすんだら、奴僕たちの膝を休ませ、牛たちの軛を解いてやるがよい。
やがてオリオンとシリウスが中天に至り、薔薇色の指の暁がアルクトゥルスを見るようになったら、ペルセースよ、そのときは葡萄の房をすべて切り取り、家へ持ち帰れ。十日と十夜、日に晒し、五日おおいをかけ、六日目に、喜ばしいディオニュソスの贈り物を器に汲み取れ。そして、プレイアデスとヒュアデスと力強いオリオンが沈み始めたら、忘れずに、季節どおりの耕作にかかれ。こうして一年は満ち、あるべきさまで大地の下へと過ぎてゆくのである。
0709
航海
船を陸へ、父の思い出(618-645行)
もし、心地よいとは言いがたい航海への欲がおまえを掴んだなら、心得ておけ。プレイアデスが、オリオンの荒々しい力を逃れて霞む海へ沈むころには、ありとあらゆる風の嵐が吹き荒れる。そのときはもう、船を輝く海に浮かべておくな。わたしの言うとおり、大地を耕すことを思い出せ。船は陸に引き上げ、周りに石をぎっしりと積んで、湿り気を帯びて吹く風の力を防げ。栓は抜いておけ。天の雨に朽ちさせられないためだ。船具も艤装も、みな家のうちに納めよ。海を行く船の翼はきちんと畳み、形よく作られた舵は、煙の上に吊るしておけ。そしておまえ自身は、航海の季節が来るまで待つのだ。季節が来たら、速い船を海へ引き下ろし、頃合いの荷を積み込め。利益を家へ持ち帰れるように。わたしとおまえの父も、愚かなペルセースよ、そうやって船に乗って稼いでいた。暮らしのよすがに欠けていたからだ。その父は昔、長い海路を越えて、まさにこの土地へ来た。アイオリスのキュメをあとにして、黒い船で逃れてきたのだ。豊かさから逃げたのでも、富と財から逃げたのでもない。ゼウスが人間に与える、忌まわしい貧しさから逃げたのである。そして父は、ヘリコンの近くの、みすぼらしい村アスクラに居を定めた。冬は悪く、夏はつらく、良いときなど一度もない村に。
ペルセースよ、おまえは、どの仕事もその季節を忘れるな。とりわけ、航海については。小さな船は褒めるだけにしておき、荷は大きな船に積め。荷が大きいほど、積み上がる儲けも大きい。風さえ、その悪しき嵐を控えてくれるならば。
ただ一度の船旅と歌の勝利(646-662行)
心得違いの心を商いに向け、負債と、喜びのない飢えから逃れたいと願うなら、轟く海の掟を教えてやろう。船にも航海にも、わたしは何の心得もないのだが。というのも、わたしは船で広い海に出たことは一度もない。ただ一度、エウボイアへ、アウリスから渡ったきりだ。かつてアカイア勢が嵐に足止めされ、聖なるヘラスから大軍を集めて、美しい女たちの国トロイアへ向かおうとした、あのアウリスから。そこからわたしはカルキスへ渡った。思慮深いアンピダマスの競技の集いへ。心大きなその勇士の息子たちが、数々の賞を告げ定めていた。そこでわたしは歌で勝利を収め、把手のついた三脚鼎を持ち帰ったのだと、誇りをもって言おう。その鼎は、ヘリコンのムーサたちに捧げた。かつてはじめて、わたしを澄んだ歌の道に就かせてくれた、その場所で。多くの木釘で留められた船について、わたしが知っているのはそれだけだ。それでも、アイギスを持つゼウスの御心なら語れる。ムーサたちが、霊妙な歌をうたうすべを、わたしに教えてくれたのだから。
海に出るなら(663-694行)
冬至から五十日、うんざりする暑さの季節が終わりに近づくころ。それが、死すべき者の船出の頃合いである。そのときなら、船を砕くこともなく、海が船人たちを呑むこともない。大地を揺らすポセイドンか、不死の神々の王ゼウスが、あえて滅ぼそうと思し召さないかぎりは。善きことの果ても、悪しきことの果ても、等しく神々の手にあるのだから。そのころの風は定まっていて、海は害をなさない。安心して風に任せ、速い船を海へ引き下ろし、荷をすべて積み込むがよい。だが、できるかぎり急いで帰って来い。新酒の季節と秋の雨を待つな。冬の訪れと、ノトスの恐ろしい嵐を待つな。南風はゼウスの秋の重い雨に付き従って海をかき立て、海路を険しくするのだ。
人が海に出るには、もう一つの季節がある。春だ。無花果の木のいちばん高い梢に、烏の足跡ほどの大きさの葉がはじめて見えるころ、海は渡れるようになる。これが春の船出の季節である。だが、わたしはそれを褒めない。わたしの心にかなわないからだ。それは掠め取るような航海で、災いを避けるのは難しい。それでも人間は、知恵の足りないまま、それさえ行う。富は、哀れな人間たちにとって、命そのものなのだから。だが、波間に死ぬのは恐ろしいことだ。わたしの言うとおり、このすべてを心のうちでよく考えよ。持ち物のすべてを、うつろな船に載せるな。大きいほうを残して、小さいほうを積み込め。海の波間で災いに遭うのは惨めなことだ。荷車に重すぎる荷を載せて車軸を折り、荷を台なしにするのが惨めであるように。ほどよい量りを守れ。頃合いこそ、万事において最上である。
0809
戒め
妻を娶るとき(695-705行)
妻を家に迎えるのは、しかるべき齢になってからにせよ。三十に大きく欠けもせず、大きく越えもしないころ。それが婚期というものだ。女は、年頃になって四年たち、五年目に嫁ぐのがよい。娶るなら生娘を。心くばりのよい立ち居振る舞いを、教え込めるからだ。とりわけ、近くに住む娘を娶れ。ただし、よくよく周りを見きわめてからにせよ。おまえの結婚が、隣人たちの笑い草にならないように。良い妻にまさる授かりものを、男が手にすることはない。逆に、悪い妻ほどひどいものもない。食い意地の張った女は、どれほど頑健な男でも、火を使わずにあぶり焼いて、生煮えのまま老いへと追い込むのだ。
友と神々への慎み(706-741行)
不死の神々の怒りを買わないよう、よくよく心せよ。友を、兄弟と同列に扱うな。もし同列に扱ったなら、先にこちらから害を加えるな。舌を喜ばせるための嘘もつくな。もし相手が先に、言葉であれ行いであれ、心にそむくことをしたなら、忘れずに倍にして返せ。それでも相手がふたたび友情を求め、償いをする気があるなら、迎え入れてやれ。次から次へと友を替える男は、ろくでもない男だ。おまえは、顔つきで心を裏切るな。
客を大勢もてなす男とも、客をもてなさない男とも呼ばれるな。悪党の仲間とも、善人をあしざまに言う者とも。
心を噛みちぎる貧しさを、決して人に向かってあざけるな。貧しさは、不死の神々が送ってよこすものだ。人にとって最良の宝は、控えめな舌。いちばんの喜びは、折り目正しく動く舌である。悪口を言えば、やがておまえ自身が、もっとひどく言われるだろう。
大勢の集う持ち寄りの宴で、無作法にふるまうな。楽しみは何より大きく、費えは何より小さいのだから。
夜明けに、洗っていない手で、輝く酒をゼウスに献じるな。ほかの不死の神々にもだ。神々は聞き入れず、祈りを唾と一緒に吐き戻してしまう。
立ったまま、太陽に向かって小便をするな。太陽が沈んでから昇るまでのあいだも、心せよ。道の上でも、道をそれたところでも、歩きながらするな。裸をさらすな。夜は、祝福された神々のものだ。神を畏れる知恵ある男は、しゃがんでするか、囲われた中庭の壁に寄って行う。
家の中で、火どころのそばで、恥ずべきところをさらすな。これを避けよ。忌まわしい葬いから帰って子を生すな。不死の神々の宴から帰って生せ。
絶えず流れる川の美しい水を、歩いて渡るな。祈りを唱えるまでは。美しい流れを見つめて祈り、輝く愛らしい水で手を洗ってからにせよ。手も清めず、悪心も清めないまま川を渡る者には、神々が怒りを向け、のちに苦しみを与えるのだ。
日々の振る舞いと噂の神(742-764行)
神々の華やいだ宴の席で、五本枝のものから、枯れたところを、輝く鉄で生きたところから切り離すな。
酒宴のさなか、混酒器の上に柄杓を置くな。それには忌まわしい運命が結びついている。
家を建てるなら、粗削りのまま放っておくな。がらがら鳴く烏がとまって、鳴き声を落とすといけない。
祓いのすんでいない鍋から取って、食べたり体を洗ったりするな。そこには災いが宿っている。
動かしてはならないものの上に、十二日の子を座らせるな。それは悪いことで、男を男らしくなくする。十二月の子も同じだ。女が体を洗った水で、男は体を洗うな。それにも、しばらくのあいだ苦い災いがつきまとう。燃えている供物に行き合わせたら、秘め事をあざけるな。それにも神は怒りを向ける。海へ注ぐ川の河口で小便をするな。泉でもするな。よくよく心せよ。用足しもするな。それはよくないことだ。
このように行え。そして、人々の恐ろしい噂から逃れよ。噂は性悪だ。軽々と、いともたやすく持ち上がるが、担うのは苦しく、下ろすのは難しい。多くの人が口にする噂は、決して消えてなくならない。噂もまた、それ自体、一柱の神なのである。
0909
日々
月の吉日(765-779行)
ゼウスから来る日々を、心して守れ。奴僕たちにも、務めに応じて教えてやれ。月の三十日は、仕事を見回り、割り当ての糧を配るのに、いちばんよい日である。人々が真を見分けて暦を守るなら、これらの日々こそ、思慮深いゼウスから来る日々なのだ。
まず、一日と、四日と、七日は聖なる日である。七日には、レトが、黄金の剣のアポロンを産んだ。八日と九日、月の満ちていく側のこの二日は、人の仕事に殊のほかよい。十一日と十二日も、どちらも良い日だ。羊の毛を刈るにも、恵みの実りを刈り入れるにも。だが十二日は、十一日よりずっと良い。その日には、宙に揺れる蜘蛛が真昼に糸を張り、知恵者が塚を積み上げる。その日に、女は機を立て、仕事にかかるがよい。
生まれ日の吉凶(780-799行)
種蒔きを始めるなら、月の満ちていく十三日は避けよ。だが苗を植えつけるには、これが最良の日である。
中の月の六日は、草木にはなはだ向かないが、男の子の生まれるには良い日だ。女の子には向かない。生まれるにも、嫁ぐにも。上旬の六日も、女の子の生まれるにはふさわしくない。だが、子山羊と羊を去勢し、羊の囲いを巡らすには優しい日である。男の子の生まれるには良いが、その子は辛辣な物言いと、嘘と、口説きの言葉と、ひそひそ話を好む男になるだろう。
月の八日には、猪と、太い声で吼える牡牛を去勢せよ。よく働く騾馬は、十二日に。
大いなる二十日には、真昼に、賢い男が生まれる。その日に生まれた者は、たいそう思慮のしっかりした者になる。十日は、男の子の生まれるに良い日。中の月の四日は、女の子に良い日である。その日にはまた、羊と、足を引きずる角ある牛と、鋭い牙の犬と、辛抱強い騾馬を、手のひらをあてて馴らすがよい。だが、上旬の四日と、月の終わりの四日には、心を噛む憂いを避けるよう心せよ。それは、ことのほか運命の重くのしかかる日なのだ。
婚礼の日と忌み日(800-813行)
月の四日には、花嫁を家に迎えよ。ただし、この件にいちばん良い鳥の兆しを、選び定めてからだ。
五日という五日を避けよ。五日は険しく、恐ろしい。五日には、エリニュスたちが、誓いの神ホルコスの誕生に立ち会ったと言われる。偽り誓う者を苦しめるために、争いの女神エリスが産んだ神である。
中の月の七日には、よくよく気を配って、デメテルの聖なる穀物を、よく均した打ち場に撒け。木こりには、家を建てる梁と、船に合う船材とを、たっぷり伐らせよ。四日には、細身の船を組み始めよ。
中の月の九日は、夕暮れに向かって良くなる日。上旬の九日は、人にはまったく害のない日である。子を生すにも生まれるにも良い日で、男にも女にもよい。この日が、まるごと悪い日になることは決してない。
知る人ぞ知る日々(814-828行)
また、二十七日が、酒甕を開けるにも、牛と騾馬と足速い馬の首に軛を置くにも、櫂座を幾列も並べた速い船を輝く海へ引き下ろすにも、最良の日であることを知る人は少ない。この日を正しい名で呼ぶ人も少ない。
四日には甕を開けよ。中の月の四日は、何にもまして聖なる日である。そして、二十日過ぎの四日が、朝のうちは最良で、夕暮れに向かうと劣ることも、知る人は少ない。
これらの日々は、地上の人間にとって大きな恵みである。だが残りの日々は、あてにならない、運を欠いた、何をもたらすこともない日々。人はそれぞれ違う日を褒めるが、その本性を知る人は少ない。ある日は継母となり、ある日は母となる。これらすべてをわきまえて、不死の神々の咎めを受けることなく働き、鳥の兆しを見分けて、踏み越えを避けて仕事をする者。その人こそ、日々において幸せな、祝福された人なのである。
