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法句経現代日本語訳

この本の概要

法句経

現代日本語訳

パーリ仏典「小部」に伝わる26章423偈の詞華集。心、行い、怠らないこと、非暴力、執着からの自由を、短く記憶に残る言葉で説く。

『法句経』の表紙
『法句経』の表紙

この本の概要

法句経

現代日本語訳

パーリ仏典「小部」に伝わる26章423偈の詞華集。心、行い、怠らないこと、非暴力、執着からの自由を、短く記憶に残る言葉で説く。

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第1章 対になる言葉

第1偈

ものごとは心に導かれ、心によって形づくられる。濁った心で話し、行うなら、苦しみがついてくる。荷車の輪が、それを引く牛の足跡を追うように。

第2偈

ものごとは心に導かれ、心によって形づくられる。澄んだ心で話し、行うなら、幸せがついてくる。決して離れない影のように。

第3偈

あの人にののしられた、殴られた、負かされた、奪われた。そう思い続ける人の憎しみは、静まらない。

第4偈

あの人にののしられた、殴られた、負かされた、奪われた。そう思い続けない人の憎しみは、静まる。

第5偈

憎しみが憎しみによって静まることは、決してない。憎しみは、憎まないことによって静まる。これは変わることのない道理である。

第6偈

私たちがここで終わりを迎えることを、多くの人は悟らない。それを悟る人の争いは静まる。

第7偈

快楽だけを追い、感覚を抑えず、食べすぎ、怠け、気力を失う人を、魔は弱い木を倒す風のように打ち倒す。

第8偈

快楽を追わず、感覚をよく抑え、食事をほどほどにし、信念を持って励む人を、魔は岩山を倒せない風のように打ち倒せない。

第9偈

心の汚れを落とさず、節度と真実を顧みないまま修行衣を着ても、その衣にはふさわしくない。

第10偈

心の汚れを捨て、善い行いを身につけ、節度と真実を守る人こそ、修行衣にふさわしい。

第11偈

大切でないものを大切だと思い、大切なものを大切でないと思う人は、真実に届かない。誤った望みを追うからである。

第12偈

大切なものを大切だと知り、大切でないものを大切でないと知る人は、真実に届く。正しい望みを抱くからである。

第13偈

粗末に葺いた家へ雨が入り込むように、よく育てていない心へ欲が入り込む。

激しい雨の夜、粗く葺かれた茅屋根の隙間から幾筋もの雨水が入り、木組みと土の床を濡らしている
粗末に葺いた家へ雨が入り込むように

第14偈

よく葺いた家へ雨が入らないように、よく育てた心へ欲は入り込まない。

第15偈

悪を行った人は、この世でも、その先でも悲しむ。自分の行いの汚れを見て、どちらでも悲しむ。

第16偈

善を行った人は、この世でも、その先でも喜ぶ。自分の行いの清らかさを見て、どちらでも喜ぶ。

第17偈

悪を行った人は、この世でも、その先でも苦しむ。自分の悪い行いを思って苦しみ、悪い境涯へ進めば、さらに苦しむ。

第18偈

善を行った人は、この世でも、その先でも幸せである。自分の善い行いを思って喜び、善い境涯へ進めば、さらに喜ぶ。

第19偈

教えをいくら多く唱えても、実行しない怠惰な人は、修行の実りを得ない。他人の牛を数えるだけの牛飼いのようなものだ。

第20偈

教えをわずかしか唱えられなくても、教えに従って歩み、欲と怒りと迷いを捨て、正しく理解し、心が自由なら、その人は修行の実りを得ている。

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第2章 怠らないこと

第21偈

怠らず気を配ることは、死を越える道。気を抜いて生きることは、死への道。気を配る人は本当には死なず、気を抜く人は生きながら死んでいる。

第22偈

この違いをはっきり知る賢い人は、怠らないことを喜び、聖なる人々の歩みを楽しむ。

第23偈

瞑想し、粘り強く励み、いつも力を尽くす賢い人は、束縛から解かれた最高の安らぎ、涅槃に至る。

第24偈

よく励み、忘れず、行いが清く、よく考えて行動し、自らを抑え、教えに沿って生きる人の誉れは増していく。

第25偈

努力と注意深さ、自制と鍛錬によって、賢い人は洪水にも押し流されない島を自分の中につくる。

第26偈

愚かな人は気晴らしを追う。賢い人は、怠らない心を何よりの宝として守る。

第27偈

気晴らしや欲の快楽を追ってはならない。怠らず瞑想する人は、深い喜びを得る。

第28偈

注意深さによって怠りを退けた賢い人は、知恵の高台に登り、山上から平地を見渡すように、静かに迷う人々を見渡す。

第29偈

気を抜く人々の中で気を配り、眠る人々の中で目覚めている賢者は、速い馬が遅い馬を置き去りにするように進む。

第30偈

神々の王となった帝釈も、怠らないことによってその座に至った。注意深さはたたえられ、怠りはいつも責められる。

第31偈

怠らないことを喜び、怠りに危うさを見る修行者は、炎のように進み、小さな束縛も大きな束縛も焼き尽くす。

第32偈

怠らないことを喜び、怠りに危うさを見る修行者は、もはや後退しない。その人は涅槃の近くにいる。

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第3章 心

第33偈

矢を作る人が矢柄をまっすぐにするように、賢い人は、揺れ動き、守りにくく、抑えにくい心をまっすぐにする。

第34偈

水から引き上げられ、乾いた地に投げ出された魚のように、心は魔の支配から逃れようと身もだえする。

第35偈

つかまえにくく、軽やかで、好きな方へ走る心を調えるのは善いことだ。調えられた心は幸せをもたらす。

第36偈

見つけにくく、巧みに動き、好きな方へ走る心を、賢い人は守りなさい。よく守られた心は幸せをもたらす。

第37偈

遠くへ行き、一人で動き、形を持たず、心の奥に潜むものを抑える人は、魔の束縛から自由になる。

第38偈

心が定まらず、正しい教えを知らず、信頼が揺らいでいるなら、その人の知恵は完成しない。

第39偈

心が欲に濡れず、憎しみに乱されず、善悪の結果への恐れを越え、目覚めている人に恐怖はない。

第40偈

この体は壊れやすい壺だと知り、心を城のように固め、知恵の武器で魔と向き合いなさい。勝っても見張りを解いてはならない。

第41偈

やがてこの体は、意識を失い、役に立たない木切れのように地上へ横たわる。

第42偈

敵が敵にすることよりも、憎む人が憎む人にすることよりも、誤った方向へ向いた自分の心の方が、さらに大きな害をもたらす。

第43偈

母も父も、ほかの身内も与えられないほどの大きな助けを、正しい方向へ向いた自分の心は与えてくれる。

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第4章 花

第44偈

誰がこの大地と、死の世界と、神々の世界を見抜くだろう。腕のよい人が花を選ぶように、よく説かれた教えの言葉を選び取るのは誰だろう。

第45偈

道を学ぶ人がこの大地と、死の世界と、神々の世界を見抜くだろう。腕のよい人が花を選ぶように、よく説かれた教えの言葉を選び取るだろう。

第46偈

この体を泡のようだと知り、蜃気楼のようだと見抜く人は、魔の花飾りの矢を断ち、死王の目の届かない所へ行く。

第47偈

花を摘むことに夢中で、心が散っている人を、死は眠る村を押し流す洪水のようにさらっていく。

第48偈

花を摘むことに夢中で、欲を満たしきれない人を、死は途中で支配する。

第49偈

蜂が花の色と香りを傷つけず、蜜だけを集めて去るように、賢者は村を歩みなさい。

第50偈

他人の過ちや、したこと、しなかったことを見るのではない。自分がしたこと、しなかったことを見なさい。

第51偈

色鮮やかでも香りのない花のように、立派な言葉も、それを実行しない人には実りがない。

第52偈

色も香りも備えた美しい花のように、立派な言葉は、それを実行する人の中で実る。

第53偈

花の山から多くの花輪を作れるように、人として生まれたなら、多くの善いことを行いなさい。

第54偈

花や白檀の香りは風に逆らって進まない。善い人の香りは風に逆らい、あらゆる方角へ届く。

第55偈

白檀、香木、蓮、ジャスミン。さまざまな香りの中でも、徳の香りに勝るものはない。

第56偈

香木の香りはかすかだが、徳ある人の香りは何より高く、神々のもとにまで届く。

第57偈

徳を身につけ、怠らずに生き、正しい理解によって解放された人の行方を、魔は見つけられない。

第58偈

大きな道端に捨てられたごみの山にも、香り高く心を喜ばせる蓮が咲く。

雨上がりの道端に捨てられた籠くずや割れた素焼きの瓦片の間から、一本の蓮が茎を伸ばして花を開いている
大きな道端に捨てられたごみの山にも、香り高く心を喜ばせる蓮が咲く

第59偈

同じように、闇の中を歩く人々の間で、完全に目覚めた人の弟子は、知恵によって明るく輝く。

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第5章 愚かな人

第60偈

眠れない人には夜が長く、疲れた人には道が長い。正しい教えを知らない愚かな人には、迷いの生が長い。

第61偈

自分より優れた人にも、同じほどの人にも出会えないなら、一人で歩み続けなさい。愚かな人と連れ立つ道はない。

第62偈

子どもは自分のもの、財産は自分のもの。愚かな人はそう考えて悩む。自分自身さえ思いどおりにならないのに、どうして子どもや財産が自分のものだろう。

第63偈

自分の愚かさを知る愚かな人は、その点では賢い。愚かなのに自分を賢いと思う人こそ、本当に愚かである。

第64偈

愚かな人が一生賢者のそばにいても、匙が汁の味を知らないように、教えを理解しない。

第65偈

理解する力のある人は、ほんのわずか賢者に接しただけでも、舌が汁の味を知るように、すぐ教えを理解する。

第66偈

理解の浅い愚かな人は、自分自身を最大の敵にする。苦い実を結ぶ悪い行いをするからだ。

第67偈

したあとで悔やみ、涙を流してその報いを受ける行いは、善くなされた行いではない。

第68偈

したあとで悔やまず、喜びをもってその実りを受ける行いは、善くなされた行いである。

第69偈

悪い行いがまだ実を結ばない間、愚かな人はそれを蜜のように思う。しかし実が熟すとき、その人は苦しむ。

第70偈

愚かな人が毎月、草の先ほどのわずかな食物で苦行しても、真理を見抜いた人の十六分の一にも及ばない。

第71偈

搾りたての乳がすぐ固まらないように、悪い行いもすぐには実を結ばない。それでも灰に覆われた火のように燃えながら、愚かな人についていく。

第72偈

誤った知識が愚かな人にもたらされると、それはその人の幸運を壊し、知恵を打ち砕く。

第73偈

愚かな人は、実のない評判、修行者の中での上席、僧院での権力、世間からの敬意を望む。

第74偈

家にいる人も家を出た人も、これは私がしたと思えばよい。何をするにも私に従えばよい。愚かな人がそう考えるほど、欲と高慢は増していく。

第75偈

利益へ向かう道と、涅槃へ向かう道は別である。それを知る目覚めた人の弟子は、尊敬を欲しがらず、執着から離れることに励む。

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第6章 賢い人

第76偈

欠点を指摘し、危険を教え、隠れた宝の場所を示すような賢い人に出会ったなら、その人についていきなさい。そうする人には善いことが増え、悪いことは増えない。

第77偈

戒め、教え、誤った行いを止める人は、善い人に愛され、悪い人に嫌われる。

第78偈

悪い行いをする人や卑しい心の人を友にしてはならない。徳ある人、優れた人を友にしなさい。

第79偈

教えを深く味わう人は、澄んだ心で幸せに生きる。賢者は、聖なる人々が説いた教えをいつも喜ぶ。

第80偈

水路を作る人は水を導き、矢を作る人は矢を曲げ直し、大工は木を整える。賢い人は自分自身を整える。

土の水門を開いて水路へ水を導く人、火で温めた矢柄を矯める人、手斧で木材を整える大工が、同じ仕事場でそれぞれの素材に手を添えている
水路を作る人は水を導き、矢を作る人は矢を曲げ直し、大工は木を整える

第81偈

堅い岩が風に揺れないように、賢い人は非難にも称賛にも揺れない。

第82偈

深く澄んだ静かな湖のように、賢い人は教えを聞いて心が静まる。

第83偈

善い人は何が起きても執着せずに歩む。快楽を求めてむだ話をせず、喜びにも悲しみにも触れても、浮かれず落ち込まない。

第84偈

自分のためにも他人のためにも、子ども、財産、支配を不正に求めず、不正な手段で成功しようとしない人は、徳と知恵を備えた正しい人である。

第85偈

人の中で、向こう岸へ渡る人はわずかである。ほかの多くの人は、こちらの岸辺を行き来している。

第86偈

よく説かれた教えに従う人は、越えがたい死の領域を越え、向こう岸へ渡る。

第87偈

賢い人は暗い道を離れて明るい道へ進み、家を離れて家を持たない生き方へ向かいなさい。

第88偈

孤独の中に喜びを求め、快楽を捨て、何も自分のものとせず、心の汚れを洗いなさい。

第89偈

目覚めに至る要素で心をよく育て、何にも執着せず、執着を手放す自由を喜ぶ人は、この世にいながら完全に解放されている。

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第7章 完成した人

第90偈

旅を終え、悲しみを捨て、あらゆる束縛から解かれた人に、苦しみはない。

第91偈

よく心を集めた人々は住まいに執着せず、白鳥が池をあとにするように、家をあとにする。

第92偈

蓄えを持たず、食を正しく受け取り、空であり条件に縛られない自由を知る人の跡は、空を飛ぶ鳥の跡のようにたどりにくい。

第93偈

欲が尽き、食の楽しみに執着せず、空であり条件に縛られない自由を知る人の跡は、空を飛ぶ鳥の跡のようにたどりにくい。

第94偈

御者に調えられた馬のように感覚を抑え、高慢も欲もない人を、神々さえうらやむ。

第95偈

大地のように耐え、堅い柱のように揺れず、泥のない湖のように澄んだ人に、迷いの生はもうない。

第96偈

正しい知恵によって自由になり、静けさを得た人は、心も、言葉も、行いも静かである。

第97偈

思い込みに頼らず、つくられていない境地を知り、つながりを断ち、機会を越え、渇望を捨てた人は、最も優れた人である。

第98偈

村でも森でも、谷でも丘でも、完成した人が住む場所は心地よい。

第99偈

世間の人が喜ばない森を、欲を離れた人は喜ぶ。快楽を求めないからである。

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第8章 千という数

第100偈

意味のない言葉を千も並べるより、聞けば心が静まる、意味のある一言の方がよい。

第101偈

意味のない詩を千も唱えるより、聞けば心が静まる、意味のある一節の方がよい。

第102偈

意味のない詩を百も唱えるより、聞けば心が静まる、教えの一言の方がよい。

第103偈

戦いで千人を千度破るより、自分自身に打ち勝つ人こそ、最も優れた勝者である。

第104偈

他人に勝つより、自分に勝つ方が優れている。自分を調え、いつも自制して生きる人の勝利は、誰にも奪えない。

第105偈

神も天の楽人も、魔も梵天も、自分に勝った人の勝利を敗北へ変えることはできない。

第106偈

百年にわたり毎月多くの供物を捧げるより、真理を身につけた人を一瞬でも敬う方が、はるかに優れている。

第107偈

百年にわたり森で火をまつるより、真理を身につけた人を一瞬でも敬う方が、はるかに優れている。

第108偈

功徳を求め、一年中どれほど供物を捧げても、正しい人への敬意の四分の一にも及ばない。

第109偈

年長者をいつも敬い、進んで礼を尽くす人には、寿命、美しさ、幸せ、力の四つが増す。

第110偈

節度も徳もなく百年生きるより、徳を持ち、よく見つめて一日生きる方がよい。

第111偈

無知で節度なく百年生きるより、知恵を持ち、よく見つめて一日生きる方がよい。

第112偈

怠け、力なく百年生きるより、しっかり励んで一日生きる方がよい。

第113偈

ものごとの生まれることと消えることを見ずに百年生きるより、その始まりと終わりを見て一日生きる方がよい。

第114偈

死を越えた境地を見ずに百年生きるより、それを見て一日生きる方がよい。

第115偈

最高の教えを見ずに百年生きるより、それを見て一日生きる方がよい。

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第9章 悪

第116偈

善いことを急いで行い、心を悪から離しなさい。善いことをのろのろ行うなら、心は悪を楽しみ始める。

第117偈

悪いことをしてしまっても、繰り返してはならない。悪を楽しんではならない。悪を重ねれば苦しみになる。

第118偈

善いことをしたなら、繰り返しなさい。善を喜びなさい。善を重ねれば幸せになる。

第119偈

悪い行いが実を結ぶまでは、悪を行った人にも幸運が見える。しかし実が熟すと、その人は悪い結果を見る。

第120偈

善い行いが実を結ぶまでは、善い人にも苦しい日がある。しかし実が熟すと、その人は善い結果を見る。

第121偈

小さな悪だから自分には返ってこないと、軽く見てはならない。水滴が落ち続ければ水瓶を満たすように、愚かな人は少しずつ悪に満たされる。

第122偈

小さな善だから自分には返ってこないと、軽く見てはならない。水滴が落ち続ければ水瓶を満たすように、賢い人は少しずつ善に満たされる。

第123偈

仲間が少ないのに大きな富を運ぶ商人が危険な道を避けるように、命を大切にする人が毒を避けるように、悪い行いを避けなさい。

第124偈

手に傷がなければ、毒に触れても毒は入らない。悪を行わない人に、悪は入り込まない。

第125偈

害する心のない、清らかで罪のない人を傷つけるなら、その悪は風に逆らって投げた細かな塵のように、愚かな本人へ戻ってくる。

第126偈

ある者は再び生まれ、悪を行った者は苦しい境涯へ、正しく生きた者は幸せな境涯へ向かう。汚れの尽きた者は涅槃に至る。

第127偈

空にも、海のただ中にも、山の洞窟にも、自分の悪い行いの結果から逃れられる場所はない。

第128偈

空にも、海のただ中にも、山の洞窟にも、死に打ち負かされない場所はない。

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第10章 暴力

第129偈

誰もが暴力におびえ、誰もが死を恐れる。自分を相手の身に置き、殺してはならない。殺させてもならない。

第130偈

誰もが暴力におびえ、誰もが命を愛する。自分を相手の身に置き、殺してはならない。殺させてもならない。

第131偈

幸せを願う生きものを傷つけながら自分の幸せを求める人は、その先で幸せを得られない。

第132偈

幸せを願う生きものを傷つけずに自分の幸せを求める人は、その先で幸せを得る。

第133偈

誰にも荒い言葉を向けてはならない。言われた人は言い返すだろう。怒りの言葉は苦しく、やり返す痛みが自分に届く。

第134偈

割れた鐘のように、言い返さず静かでいられるなら、涅槃に近づいている。そこに争いはない。

第135偈

牛飼いが杖で牛を囲いへ追うように、老いと死は生きものの命を追い立てる。

第136偈

愚かな人は、悪を行っていても気づかない。やがて自分の行いによって、火に焼かれるように苦しむ。

第137偈

罪のない人、害する心のない人を傷つける者には、次の十の苦しみのどれかがすぐに訪れる。

第138偈

激しい痛み、損失、体の傷、重い病、心の混乱。

第139偈

権力者からの災い、恐ろしい告発、親しい人との別れ、財産の喪失。

第140偈

あるいは家が火で焼かれ、死後には苦しい境涯へ落ちる。

第141偈

裸でいることも、髪を編むことも、汚れたままでいることも、断食も、地面に寝ることも、灰を塗ることも、じっと座ることも、欲を越えていない人を清めはしない。

第142偈

美しい服を着ていても、心が穏やかで、静かに自らを抑え、清らかに生き、どの命も傷つけない人は、真の聖者であり、修行者である。

第143偈

よく調えられた馬が鞭を避けるように、恥を知ることで非難を避ける人は、この世にどれほどいるだろう。

第144偈

鞭を受けた良馬のように、力強く進みなさい。信頼、徳、努力、心の集中、教えを見分ける知恵によって、この大きな苦しみを越えなさい。

第145偈

水路を作る人は水を導き、矢を作る人は矢を曲げ直し、大工は木を整える。善い人は自分自身を整える。

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第11章 老い

第146偈

世界がいつも燃えているのに、どうして笑い、どうして喜んでいられるのか。闇に覆われながら、なぜ光を探さないのか。

第147偈

飾られたこの体を見なさい。傷の集まりを覆い、つなぎ合わせ、病み、さまざまに思い悩み、長く保つことはできない。

第148偈

この体は衰え、病の巣となり、もろい。腐りゆくこの塊は崩れる。命は死で終わる。

第149偈

秋に捨てられたひょうたんのように白い骨が散らばる。そこに何の楽しみがあるだろう。

第150偈

骨で城を組み、肉と血で塗り固める。その中に老いと死、高慢と偽りが住んでいる。

第151偈

王の華やかな車も壊れ、この体も老いていく。しかし善い人の徳は老いない。善い人々はそう語り継ぐ。

第152偈

学ぶことの少ない人は、牛のように年を取る。肉は増えても、知恵は増えない。

第153偈

この体という家の造り手を探し、見つけられないまま、私は幾度も生まれ変わってさまよった。生まれることを繰り返すのは苦しい。

第154偈

家の造り手よ、今こそお前を見つけた。もう家を建てることはない。梁はすべて折れ、棟木も砕けた。心はつくられない境地に達し、渇望は尽きた。

第155偈

若いうちに修行をせず、心の宝を得なかった人は、魚のいない池に立つ老いた鷺のように衰える。

水が引いてひび割れた池の浅瀬に、羽の乱れた老いた鷺が一羽立ち、魚のいない泥を見つめている
魚のいない池に立つ老いた鷺のように衰える

第156偈

若いうちに修行をせず、心の宝を得なかった人は、折れた弓のように横たわり、過ぎた日々を嘆く。

1226

第12章 自分

第157偈

自分を大切に思うなら、自分をよく見張りなさい。夜の三つの時間のうち一つだけでも、賢い人は目を覚ましていなさい。

第158偈

まず自分を正しい道に置き、それから他人を教えなさい。そうすれば賢い人は過ちを避けられる。

第159偈

他人に教えるとおりに自分も行いなさい。自分をよく調えてこそ、他人を導ける。自分を調えるのは難しい。

第160偈

自分こそ自分の主人である。ほかの誰が主人になれるだろう。自分をよく調えた人は、得がたい頼もしい主人を得る。

第161偈

自分が生み、自分から起こした悪は、愚かな人を打ち砕く。硬い石が宝石を砕くように。

第162偈

つる草が巻きついた木を倒すように、悪が大きく育った人は、自分を敵が望む姿にまで落としてしまう。

第163偈

悪いこと、自分を傷つけることは、たやすくできる。自分のためになり、善いことは、実に行いにくい。

第164偈

完成した人、気高い人、徳ある人の教えを軽んじ、誤った見方に従う愚かな人は、自らを滅ぼす実を結ぶ。実をつけると枯れる葦のように。

第165偈

悪を行うのも自分、苦しむのも自分。悪を行わないのも自分、自分を清めるのも自分。清らかさも汚れも自分にかかっている。誰かが誰かを清めることはできない。

第166偈

どれほど大切に見えても、他人の務めのために自分の務めを見失ってはならない。自分の務めを見定め、それに心を注ぎなさい。

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第13章 世

第167偈

悪い生き方に従わず、気を抜いて暮らさず、誤った見方に従わず、世間の価値に流されてはならない。

第168偈

立ち上がり、怠けてはならない。善い教えに従って生きなさい。正しく生きる人は、この世でも、その先でも安らかに眠る。

第169偈

善い教えに従い、悪い生き方に従ってはならない。正しく生きる人は、この世でも、その先でも安らかに眠る。

第170偈

世界を泡のように、蜃気楼のように見なさい。そう見る人を、死王は見つけられない。

第171偈

さあ、きらびやかなこの世界を見なさい。王の車のように飾られている。愚かな人はそこへ沈み込むが、賢い人は執着しない。

第172偈

以前は気を抜いていても、のちに注意深くなった人は、雲を離れた月のように、この世界を明るく照らす。

厚い雨雲の切れ目から現れた満月が、濡れた茅屋根と道と樹々を一筋の澄んだ月光で照らしている
雲を離れた月のように、この世界を明るく照らす

第173偈

以前の悪い行いを善い行いで覆う人は、雲を離れた月のように、この世界を明るく照らす。

第174偈

この世界は暗い。ここでは、はっきり見る人はわずかである。網から逃れた鳥のように、幸せな境地へ至る人もわずかである。

第175偈

白鳥が太陽の道を飛ぶように、心を鍛えた人は空を進む。賢い人は魔とその仲間に打ち勝ち、この世界から離れていく。

第176偈

真実を踏みにじり、嘘を語り、行いの結果を否定する人に、できない悪はない。

第177偈

物惜しみする人は、幸せな境地へ行かない。愚かな人は分かち合うことを喜ばない。賢い人は施しを喜び、その喜びによって幸せになる。

第178偈

大地を支配するよりも、天へ行くよりも、あらゆる世界の主となるよりも、聖なる道の最初の実りの方が優れている。

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第14章 目覚めた人

第179偈

二度と覆されない勝利を得て、この世の誰にも跡を追えない人。道なき所を行く完全に目覚めた人を、どの道へ引き戻せるだろう。

第180偈

絡みつき、毒を持つ渇望にも惑わされない人。道なき所を行く完全に目覚めた人を、どの道へ引き戻せるだろう。

第181偈

瞑想に打ち込み、知恵を持ち、怠らず、手放すことの静けさを喜ぶ目覚めた人を、神々さえうらやむ。

第182偈

人として生まれるのは難しく、限りある命を生きるのも難しい。正しい教えを聞くのは難しく、目覚めた人が現れるのも難しい。

第183偈

あらゆる悪を行わず、善を育て、自分の心を清める。これが目覚めた人々の教えである。

第184偈

耐え忍ぶことは最高の修行、涅槃は最高の境地だと、目覚めた人々は説く。他人を傷つける者は出家者ではなく、他人を悩ませる者は修行者ではない。

第185偈

悪口を言わず、傷つけず、戒めを守り、食をほどほどにし、静かな場所に座って眠り、心を深く集中させる。これが目覚めた人々の教えである。

第186偈

金貨の雨が降っても、欲は満たされない。快楽は味わいが短く、苦しみを生むと知る人は賢い。

第187偈

天上の快楽にさえ満足せず、完全に目覚めた人の弟子は、渇望が尽きることだけを喜ぶ。

第188偈

恐れに追われた人は、山、森、林、神木など、さまざまな所へ避難する。

第189偈

しかし、それは安全な避難所でも、最高の避難所でもない。そこへ逃げても、あらゆる苦しみから自由にはなれない。

第190偈

ブッダと、その教えと、修行する人々の共同体を拠り所とし、澄んだ知恵で四つの聖なる真理を見る人がいる。

第191偈

苦しみ、苦しみが生まれる原因、苦しみが消えること、そして苦しみを静める八つの実践の道である。

第192偈

これこそ安全な避難所、最高の避難所である。ここを拠り所とすれば、あらゆる苦しみから自由になる。

第193偈

真に優れた人は、たやすく見つからず、どこにでも生まれるわけではない。そのような賢者が生まれた家には、幸せが栄える。

第194偈

目覚めた人が現れることは幸せであり、正しい教えが説かれることは幸せである。修行する人々の和合と、和合して励むことは幸せである。

第195偈

敬うに値する人々、目覚めた人とその弟子、悪の軍勢を越え、悲しみの流れを渡った人々を敬うなら、

第196偈

自由に達して恐れのない人々を敬うその功徳は、誰にも量ることができない。

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第15章 幸せ

第197偈

憎む人々の中で憎まず、私たちは幸せに生きよう。憎しみに満ちた人々の中で、憎しみなく暮らそう。

第198偈

心を病む人々の中で心を病まず、私たちは幸せに生きよう。病んだ人々の中で、健やかに暮らそう。

第199偈

欲深い人々の中で欲を離れ、私たちは幸せに生きよう。欲に満ちた人々の中で、欲なく暮らそう。

第200偈

何も自分のものとせず、私たちは幸せに生きよう。光り輝く神々のように、喜びを糧としよう。

第201偈

勝利は憎しみを生み、敗れた人は苦しむ。勝ち負けの両方を手放した穏やかな人は、幸せに眠る。

第202偈

欲より激しい火はなく、憎しみよりひどい不運はなく、心身にとらわれることより大きな苦しみはなく、安らぎより高い幸せはない。

第203偈

飢えは最大の病であり、条件づけられた存在は最大の苦しみである。これをありのままに知るなら、最高の幸せである涅槃に至る。

第204偈

健康は最も大きな恵み、満足は最も大きな富、信頼できる人は最もよい身内、涅槃は最も高い幸せである。

第205偈

孤独と静けさの味を知り、教えの喜びを味わう人は、恐れと悪から離れる。

第206偈

聖なる人々に会うのは善いことであり、共に暮らせばいつも幸せである。愚かな人に会わずにすむなら、本当に幸せである。

第207偈

愚かな人と旅をすれば、長く苦しむ。愚かな人との付き合いは、敵といるようにいつも苦しい。賢い人との付き合いは、身内に会うように楽しい。

第208偈

だから、知恵があり、理解が深く、学び、耐え、務めを果たす気高い人についていきなさい。月が星の道を行くように、善く賢い人についていきなさい。

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第16章 愛着

第209偈

すべき修行をせず、気晴らしにふけり、本当の目的を忘れて快楽にしがみつく人は、やがて励む人をうらやむ。

第210偈

好きなものと結びつこうとせず、嫌いなものにもとらわれてはならない。好きなものに会えないのも、嫌いなものに会うのも苦しい。

第211偈

だから何にも執着してはならない。愛するものを失うのは苦しい。好き嫌いのない人に束縛はない。

第212偈

喜びへの執着から悲しみが生まれ、恐れが生まれる。その執着から自由な人に、悲しみも恐れもない。

第213偈

愛着から悲しみが生まれ、恐れが生まれる。愛着から自由な人に、悲しみも恐れもない。

第214偈

欲から悲しみが生まれ、恐れが生まれる。欲から自由な人に、悲しみも恐れもない。

第215偈

恋着から悲しみが生まれ、恐れが生まれる。恋着から自由な人に、悲しみも恐れもない。

第216偈

渇望から悲しみが生まれ、恐れが生まれる。渇望から自由な人に、悲しみも恐れもない。

第217偈

徳と深い理解を持ち、公正で、真実を語り、自分の務めを果たす人は、世の人に愛される。

第218偈

言葉にできない自由を心から望み、思いが満ち足り、欲に心を乱されない人は、流れをさかのぼる人と呼ばれる。

第219偈

長く故郷を離れていた人が、遠くから無事に帰ると、親族や友人は喜んで迎える。

第220偈

同じように、この世で善を行った人が次の世界へ行くと、その善い行いが親族のように迎える。

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第17章 怒り

第221偈

怒りを捨て、高慢を捨て、あらゆる束縛を越えなさい。心身を自分だとつかまず、何も自分のものとしない人に、苦しみはついてこない。

第222偈

走る車をしっかり止めるように、湧き上がる怒りを抑える人こそ、本当の御者である。ほかの人は、ただ手綱を持っているにすぎない。

勢いよく走っていた二頭立ての木の車を、御者が両足を踏ん張り両手で手綱を引いて止め、車輪のそばで土埃が前へ流れている
走る車をしっかり止めるように、湧き上がる怒りを抑える

第223偈

怒りには怒らないことで勝ち、悪には善で勝ちなさい。物惜しみには施しで勝ち、嘘には真実で勝ちなさい。

第224偈

真実を語り、怒りに負けず、求められたなら少しでも与えなさい。この三つによって、神々の近くへ行く。

第225偈

誰も傷つけず、いつも体を抑える賢者は、変わることのない境地へ行く。そこへ行けば、もう悲しまない。

第226偈

いつも目覚め、昼も夜も学び、涅槃へ向けて心を注ぐ人の汚れは、やがて尽きる。

第227偈

アトゥラよ、これは昔から言われ、今日だけのことではない。黙る人も責められ、多く話す人も責められ、少し話す人も責められる。この世にまったく責められない人はいない。

第228偈

いつも責められる人も、いつもほめられる人も、過去にも、未来にも、今にもいない。

第229偈

よく見分ける人々が、日々変わらず、欠点がなく、知恵と学びと徳を備えているとたたえる人がいる。

第230偈

純金の貨幣のようなその人を、誰が責められるだろう。神々もたたえ、梵天もたたえる。

第231偈

体から生じる怒りに気をつけ、体を抑えなさい。体の悪い行いを捨て、体で善を行いなさい。

第232偈

言葉から生じる怒りに気をつけ、言葉を抑えなさい。言葉の悪い行いを捨て、言葉で善を行いなさい。

第233偈

心から生じる怒りに気をつけ、心を抑えなさい。心の悪い働きを捨て、心で善を行いなさい。

第234偈

体を抑え、言葉を抑え、心を抑える賢い人は、完全に自らを抑えている。

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第18章 汚れ

第235偈

今やあなたは枯れ葉のようだ。死の使いが近づき、旅立ちの門に立っている。それなのに、旅の支度ができていない。

第236偈

自分を島とし、急いで励み、賢くなりなさい。汚れを吹き払い、罪から離れれば、聖なる人々の幸せな境地へ入る。

第237偈

あなたの命は終わりに近づき、死のそばまで来ている。途中に休む場所はなく、旅の支度もできていない。

第238偈

自分を島とし、急いで励み、賢くなりなさい。汚れを吹き払い、罪から離れれば、もう生と老いへ戻らない。

第239偈

銀細工師が銀の汚れを落とすように、賢い人は一つずつ、少しずつ、時をかけて自分の汚れを落としなさい。

第240偈

鉄から生じた錆が鉄そのものをむしばむように、自分の悪い行いが、行った本人を苦しい境涯へ導く。

第241偈

唱えなければ聖句は曇り、手入れしなければ家は傷む。怠ければ体は衰え、気を抜けば見張りの役に立たない。

第242偈

不品行は人を汚し、物惜しみは施す心を汚す。この世でも、その先でも、悪い生き方は汚れである。

第243偈

あらゆる汚れより深い汚れがある。無知こそ最大の汚れである。修行者よ、その汚れを捨て、汚れのない者となりなさい。

第244偈

恥を知らず、からすのように厚かましく、人を押しのけ、尊大で、心の汚れた人には、生きることはたやすい。

第245偈

恥を知り、いつも清らかさを求め、執着せず、控えめで、正しく見極めて生きる人には、生きることは難しい。

第246偈

命を奪い、嘘を語り、与えられていないものを取り、他人の伴侶と関係を持つ人、

第247偈

さらに酔わせるものにふける人は、この世にいながら自分の根を掘り崩している。

第248偈

わきまえのない生き方は悪い結果を招くと知りなさい。貪りと不正が、長く続く苦しみをもたらさないようにしなさい。

第249偈

人はそれぞれの信頼や喜びに応じて施す。他人に与えられた食べ物や飲み物をねたむなら、昼も夜も心は静まらない。

第250偈

ねたみを根こそぎ抜き、すっかり捨てた人は、昼も夜も心が静まる。

第251偈

欲より激しい火はなく、憎しみより強く人をつかむものはなく、迷いより堅い罠はなく、渇望より激しい流れはない。

第252偈

他人の欠点は見つけやすく、自分の欠点は見つけにくい。人は他人の欠点を籾殻のように吹き上げ、自分の欠点をいかさま師が悪い賽を隠すように隠す。

第253偈

他人の欠点ばかりを探し、いつも腹を立てている人は、自分の汚れを増やし、汚れが尽きる所から遠ざかる。

第254偈

空に足跡はなく、外見だけで真の修行者にはなれない。世の人は執着を楽しむが、真実に至った人は執着を離れている。

第255偈

空に足跡はなく、外見だけで真の修行者にはなれない。永遠に変わらないものはなく、目覚めた人は揺れない。

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第19章 正しい人

第256偈

力ずくで事を決める人が正しいのではない。何が道理で、何が道理でないかを見分ける人こそ正しい。

第257偈

暴力によらず、公平な教えに従って人を導き、自らも教えに守られる賢い人は、正しい人と呼ばれる。

第258偈

多く話すから賢者なのではない。忍耐強く、憎しみと恐れを離れた人が、賢者と呼ばれる。

第259偈

多く話すから教えを保つ人なのではない。わずかしか聞いていなくても、教えを身をもって見て、決しておろそかにしない人が、教えを保つ人である。

第260偈

白髪だから長老なのではない。ただ年を取っただけなら、むなしく老いた人と呼ばれる。

第261偈

真実、徳、思いやり、自制、節度を備え、汚れを捨てた賢い人が、長老と呼ばれる。

第262偈

ねたみ、貪り、偽りのある人は、話が巧みでも、見た目が美しくても、立派な人にはならない。

第263偈

それらを根こそぎ抜き、すっかり捨て、憎しみを離れた賢い人が、立派な人と呼ばれる。

第264偈

髪を剃っただけで、嘘を語り、節度なく生きる人は修行者ではない。欲と貪りに縛られたままで、どうして修行者といえるだろう。

第265偈

小さな悪も大きな悪もすべて静める人は、悪を静めた人という意味で、修行者と呼ばれる。

第266偈

人に食を求めるだけで修行者になるのではない。教えのすべてを生きる人が修行者であり、ただ物を乞う人はそうではない。

第267偈

善悪への執着を越え、清らかに生き、知恵をもって世を歩む人こそ、修行者と呼ばれる。

第268偈

黙っているだけで賢者になるのではない。愚かで無知なまま黙る人もいる。知恵ある人は、秤を持つように善を選び取る。

第269偈

善と悪の両方を量り、悪を退ける賢い人は、その見極めによって賢者と呼ばれる。

第270偈

生きものを傷つけるから気高いのではない。あらゆる生きものを傷つけないから、気高い人と呼ばれる。

第271偈

戒めや誓い、多くの学び、深い心の集中、独りで眠ることだけで、世間の人が知らない解放の幸せを得たと思ってはならない。

第272偈

修行者よ、渇望が尽きるまでは、これで十分だと安心してはならない。

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第20章 道

第273偈

道の中では八つの実践の道が最も優れ、真理の中では四つの聖なる真理が最も優れ、境地の中では欲を離れることが最も優れ、人の中では見る目を持つ人が最も優れている。

第274偈

心を清める道はこれであり、ほかにはない。この道を歩みなさい。ほかの道は魔の惑わしである。

第275偈

この道を歩めば、苦しみを終わらせる。私は苦しみを刺す棘を抜く方法を知り、この道を説いた。

第276偈

努力するのは自分自身である。真実に至った人々は、道を示すだけだ。心を集中して道へ入る人は、魔の束縛から自由になる。

第277偈

つくられたものはすべて移ろう。これを知恵によって見るとき、苦しみに執着しなくなる。これが清らかさへの道である。

第278偈

つくられたものはすべて満たされない。これを知恵によって見るとき、苦しみに執着しなくなる。これが清らかさへの道である。

第279偈

あらゆるものに、変わらない自分という実体はない。これを知恵によって見るとき、苦しみに執着しなくなる。これが清らかさへの道である。

第280偈

立ち上がる時に立ち上がらず、若く力があっても怠け、意志も心も弱い人は、知恵への道を見つけられない。

第281偈

言葉を見張り、心をよく抑え、体で悪を行わないようにしなさい。この三つの行いを清めれば、賢い人が説いた道に至る。

第282偈

励むことで知恵は生まれ、励まなければ知恵は失われる。増える道と失われる道を知り、知恵が育つように自分を置きなさい。

第283偈

一本の木ではなく、欲という森をすべて切りなさい。危険はその森から生まれる。森も下草も切ったなら、修行者よ、森から自由になりなさい。

第284偈

異性へのわずかな執着さえ断たれていない間、心は母牛から乳を飲む子牛のようにつながれている。

第285偈

秋の蓮を手で摘むように、自分の渇望を断ちなさい。安らぎへの道を育てなさい。幸いな人が涅槃を示した。

秋の浅い水辺で、褐色の手がしおれかけた蓮の茎を根元近くでつかみ、ひと息に摘み断っている
秋の蓮を手で摘むように、自分の渇望を断ちなさい

第286偈

雨季はここで、冬も夏もここで暮らそう。愚かな人はそう考え、死が近づくことに気づかない。

第287偈

子どもや家畜を誇り、心がそれている人を、死は眠る村を押し流す洪水のようにさらっていく。

第288偈

死につかまれた人を、子どもも、父も、親族も救えない。身内の誰にも、その人を守ることはできない。

第289偈

この意味を知る、徳と知恵のある人は、涅槃へ至る道をすみやかに清めなさい。

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第21章 さまざまなこと

第290偈

小さな楽しみを手放して大きな幸せを得られるなら、賢い人は小さな楽しみを手放し、大きな幸せを見なさい。

第291偈

他人に苦しみを与えて自分の幸せを得ようとする人は、憎しみの鎖にからまり、憎しみから自由になれない。

第292偈

すべきことをせず、してはならないことをする。気を抜き、節度を失った人の汚れは増えていく。

第293偈

体をいつもよく観察し、してはならないことをせず、すべきことをたゆまず行う人の汚れは、やがて尽きる。

第294偈

母にたとえられる渇望、父にたとえられる自我意識、二人の王にたとえられる二つの極端な見方、領土にたとえられる感覚の世界とそこへの執着を断った聖者は、心を乱さずに進む。

第295偈

母にたとえられる渇望、父にたとえられる自我意識、二人の祭司王にたとえられる二つの極端な見方、そして疑いを含む五つの妨げを断った聖者は、心を乱さずに進む。

第296偈

ゴータマの弟子たちは、いつもよく目覚めている。昼も夜も、その心はブッダに向けられている。

第297偈

ゴータマの弟子たちは、いつもよく目覚めている。昼も夜も、その心は教えに向けられている。

第298偈

ゴータマの弟子たちは、いつもよく目覚めている。昼も夜も、その心は修行する人々の共同体に向けられている。

第299偈

ゴータマの弟子たちは、いつもよく目覚めている。昼も夜も、その心は体を観察している。

第300偈

ゴータマの弟子たちは、いつもよく目覚めている。昼も夜も、その心は傷つけないことを喜んでいる。

第301偈

ゴータマの弟子たちは、いつもよく目覚めている。昼も夜も、その心は瞑想を喜んでいる。

第302偈

家を出て生きるのは難しく、そこに喜びを見いだすのも難しい。家庭生活にも苦しみがあり、気の合わない人と暮らすのも苦しい。迷いを旅する者には苦しみが続く。だから苦しみの旅人になってはならない。

第303偈

信頼があり、徳があり、豊かで名の知られた人は、どこへ行っても敬われる。

第304偈

善い人は雪山のように遠くからでも輝いて見える。悪い人は夜に放たれた矢のように、近くにいても見えない。

第305偈

独りで座り、独りで眠り、たゆまず自分を調える人は、森に住むような静けさの中で、欲が尽きることを喜ぶ。

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第22章 苦境

第306偈

していないことをしたと言う人も、したことをしていないと言う人も、苦しい境涯へ行く。悪い行いをした二人は、死後に同じ所へ向かう。

第307偈

修行衣で肩を覆っていても、心が悪く節度のない人は多い。そのような人は、自分の悪い行いによって苦しい境涯へ行く。

第308偈

節度のない悪い人が、人々の施しを受けて生きるより、燃え上がる熱い鉄の玉を飲み込む方がましである。

第309偈

他人の伴侶を求める軽率な人は、四つのものを得る。悪い評判、安らげない眠り、罰、そして苦しい境涯である。

第310偈

悪い評判と苦しい行く末、恐れる二人の短い快楽、権力者からの重い罰が待つ。だから他人の伴侶を求めてはならない。

第311偈

草の葉も持ち方を誤れば手を切る。同じように、修行を誤れば苦しい境涯へ導かれる。

第312偈

ぞんざいにした行い、破った誓い、ためらいながらする修行は、大きな実りをもたらさない。

第313偈

すべきことなら、しっかり行い、力を尽くしなさい。気を抜いた修行は、かえって欲の塵をまき散らす。

第314偈

悪いことは、しない方がよい。あとで悔やむからである。善いことは、する方がよい。あとで悔やまないからである。

第315偈

内も外もよく守られた国境の砦のように、自分を守りなさい。一瞬も見逃してはならない。大切な時を逃した人は、苦しみに落ちて嘆く。

第316偈

恥じなくてよいことを恥じ、恥じるべきことを恥じない人は、誤った見方を抱き、悪い道へ進む。

第317偈

恐れなくてよいことを恐れ、恐れるべきことを恐れない人は、誤った見方を抱き、悪い道へ進む。

第318偈

過ちでないことを過ちと思い、過ちを過ちと思わない人は、誤った見方を抱き、悪い道へ進む。

第319偈

過ちを過ちと知り、過ちでないことを過ちでないと知る人は、正しい見方を抱き、善い道へ進む。

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第23章 象

第320偈

戦場の象が弓から放たれた矢に耐えるように、私は悪口に黙って耐えよう。世の多くの人は、節度を欠いている。

第321偈

調えられた象が戦場へ導かれ、王も調えられた象に乗る。人の中で最も優れているのは、悪口に耐え、自分を調えた人である。

第322偈

よく調えられた騾馬も、名馬も、牙を持つ大象も優れている。しかし自分を調えた人は、さらに優れている。

第323偈

どれほど優れた乗り物でも、まだ歩んだことのない涅槃へは行けない。自分をよく調えた人は、調えた自分によってそこへ行く。

第324偈

ダナパーラという発情期の象は、つながれると一口も食べず、象の住む森を恋しがる。

太い鉄の鎖で片脚を木杭につながれた大きな象が、手前の食べ物に口をつけず、遠くに見える緑の森へ鼻先と眼差しを向けている
ダナパーラという発情期の象は、つながれると一口も食べず、象の住む森を恋しがる

第325偈

食べすぎて太り、眠って転がる人は、餌で太る豚のように愚かで、何度も生まれ変わる。

第326偈

以前、私の心は、望むまま、好きなまま、楽しい方へさまよっていた。今は象使いが荒い象を抑えるように、その心をしっかり抑えよう。

第327偈

気を抜かず、自分の心を見張りなさい。泥に沈んだ象が自力で抜け出すように、悪い道から自分を引き上げなさい。

第328偈

賢く、慎み深く生きる思慮ある仲間に出会えたなら、あらゆる危険を越え、心を配りながら喜んで共に歩みなさい。

第329偈

賢く、慎み深く生きる思慮ある仲間に出会えないなら、征服した国をあとにする王のように、森の象のように、一人で歩みなさい。

第330偈

一人で生きる方がよい。愚かな人との連れ立ちはない。悪を行わず、求めるものを少なくし、森の象のように一人で歩みなさい。

第331偈

必要な時に会える友は喜びである。得たものを分かち合うのは喜びである。死を前にした善い行いは喜びであり、あらゆる苦しみを手放すのは喜びである。

第332偈

この世で母を敬うことは幸せであり、父を敬うことは幸せである。修行者を敬うことは幸せであり、真の聖者を敬うことは幸せである。

第333偈

老いるまで徳を守るのは幸せであり、信頼が揺るがないのは幸せである。知恵を得るのは幸せであり、悪を行わないのは幸せである。

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第24章 渇望

第334偈

気を抜いた人の渇望は、つる草のように伸びる。森で実を探す猿のように、迷いの生から生へと走り回る。

第335偈

この世で、毒を含む激しい渇望に打ち負かされた人の苦しみは、雑草のように伸びていく。

第336偈

この世で、打ち勝ちにくい激しい渇望に打ち勝った人から、苦しみは蓮の葉から落ちる水滴のように落ちていく。

第337偈

ここに集まった人々へ、幸せにつながる言葉を告げる。香り高い根を求めて草を掘り起こすように、渇望の根を掘り起こしなさい。流れが葦を倒すように、魔に何度も倒されないために。

第338偈

木は切られても根が無事なら、再び芽を出す。渇望の根を滅ぼさなければ、苦しみは何度でも戻ってくる。

第339偈

快楽へ向かう三十六の流れが激しく走る人を、欲に向かう思いの波が押し流す。

第340偈

欲の流れはあらゆる方へ走り、つるは芽を出して伸びる。その芽を見つけたなら、知恵によって根を断ちなさい。

第341偈

生きものは広がる快楽を味わい、欲に沈んで楽しみを求める。そのため何度も生と老いを経験する。

第342偈

渇望に追われる人は、罠にかかった兎のように走り回る。束縛と鎖につながれ、長い間、何度も苦しむ。

第343偈

渇望に追われる人は、罠にかかった兎のように走り回る。だから修行者は、欲を離れることを願い、渇望を追い出しなさい。

第344偈

欲の森を離れたのに、また欲の森へ戻る人を見なさい。自由になったのに、自ら束縛へ走り戻っている。

第345偈

鉄や木や縄でできたものを、賢い人は強い束縛とは呼ばない。宝石や飾り、子どもや伴侶への執着こそ、はるかに強い束縛である。

第346偈

賢い人は、人を引き下ろし、緩んで見えても解きにくい執着を、強い束縛と呼ぶ。それを断ち、憂いなく、欲と快楽を捨てて歩み出す。

第347偈

欲に支配された人は、自分で作った網を伝う蜘蛛のように、欲の流れを下っていく。賢い人はその網を断ち、執着を捨て、憂いなく歩み出す。

第348偈

過去を手放し、未来を手放し、今も手放して、存在の向こう岸へ渡りなさい。心がすべてから自由なら、もう生と老いへ戻らない。

第349偈

考えに揺さぶられ、欲が強く、心地よいものばかり見つめる人の渇望は増え、その人は自分の束縛をさらに強くする。

第350偈

考えを静めることを喜び、いつもよく観察し、体の移ろいを見つめる人は、魔の束縛を取り除き、断ち切る。

第351偈

完成へ達し、恐れず、渇望も汚れもなく、生の棘をすべて折った人にとって、これが最後の体となる。

第352偈

渇望も執着もなく、言葉の意味と組み立てを理解し、その前後を知る人にとって、これが最後の体となる。その人は偉大な知者と呼ばれる。

第353偈

私はすべてに打ち勝ち、すべてを知り、どのような状態にも汚されない。すべてを捨て、渇望を滅ぼして自由になった。自ら知った私が、誰を師と呼ぶだろう。

第354偈

教えを与えることは、あらゆる贈り物に勝る。教えの味は、あらゆる味に勝る。教えの喜びは、あらゆる喜びに勝る。渇望の消滅は、あらゆる苦しみに勝る。

第355偈

快楽は、向こう岸を求めない愚かな人を壊す。愚かな人は快楽への渇望によって、自分を敵のように壊してしまう。

第356偈

田畑は雑草に損なわれ、人は欲に損なわれる。だから欲を離れた人への施しは、大きな実りをもたらす。

第357偈

田畑は雑草に損なわれ、人は憎しみに損なわれる。だから憎しみを離れた人への施しは、大きな実りをもたらす。

第358偈

田畑は雑草に損なわれ、人は迷いに損なわれる。だから迷いを離れた人への施しは、大きな実りをもたらす。

第359偈

田畑は雑草に損なわれ、人は渇望に損なわれる。だから渇望を離れた人への施しは、大きな実りをもたらす。

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第25章 修行者

第360偈

目を抑えるのは善いこと。耳を抑えるのは善いこと。鼻を抑えるのは善いこと。舌を抑えるのは善いこと。

第361偈

体を抑えるのは善いこと。言葉を抑えるのは善いこと。心を抑えるのは善いこと。すべてを抑えるのは善いこと。すべてを抑える修行者は、あらゆる苦しみから自由になる。

第362偈

手を抑え、足を抑え、言葉を抑え、自分をよく抑え、内なる喜びに満ち、心を集め、一人で足ることを知る人を、修行者と呼ぶ。

第363偈

口を抑え、知恵をもって穏やかに語り、教えとその意味を明らかにする修行者の言葉は、心地よい。

第364偈

教えに住み、教えを喜び、教えを深く見つめ、教えに従う修行者は、正しい教えから離れない。

第365偈

受け取ったものを軽んじず、他人が得たものをうらやんではならない。他人をうらやむ修行者は、心の集中を得られない。

第366偈

受け取るものがわずかでも、それを軽んじず、清らかに、怠らず生きる修行者を、神々もたたえる。

第367偈

心身を自分のものとつかまず、失われたものを嘆かない人こそ、修行者と呼ばれる。

第368偈

思いやりをもって生き、ブッダの教えに心が澄んだ修行者は、つくられたものが静まる、安らかで幸せな境地へ至る。

第369偈

修行者よ、この舟から水をくみ出しなさい。空にすれば舟は軽く進む。欲と憎しみを断てば、涅槃へ至る。

低い木舟の中で一人の修行者が木の器を両手で使い、船底にたまった水を川へ繰り返しくみ出している
この舟から水をくみ出しなさい。空にすれば舟は軽く進む

第370偈

下へ縛る五つの束縛を断ち、上へ縛る五つの束縛も捨て、心を支える五つの力を育てなさい。五つの執着を越えた修行者は、激流を渡った人と呼ばれる。

第371偈

修行者よ、瞑想し、気を抜いてはならない。快楽へ心を向けてはならない。怠りの報いに焼かれ、苦しいと叫ぶことのないように。

第372偈

知恵がなければ心の集中はなく、心の集中がなければ知恵はない。知恵と心の集中をともに持つ人は、涅槃の近くにいる。

第373偈

静かな住まいへ入り、心の静まった修行者は、教えをはっきり見るとき、人を超えた喜びを味わう。

第374偈

心身を形づくる要素が生まれ、消えることを観察するとき、死を越えた境地を知る人の喜びと幸せを得る。

第375偈

ここで賢い修行者がまず行うべきことは、感覚を見張り、足ることを知り、戒めを守り、清らかに励む善い友と付き合うことである。

第376偈

親切にふるまい、行いを正しなさい。喜びに満ちて、苦しみを終わらせるだろう。

第377偈

ジャスミンがしおれた花を落とすように、修行者よ、欲と憎しみを落としなさい。

第378偈

体も言葉も心も静まり、心が集まり、世の誘惑を捨てた修行者は、穏やかな人と呼ばれる。

第379偈

自分で自分を奮い立たせ、自分で自分を調べなさい。自分を守り、気を配るなら、修行者よ、幸せに生きるだろう。

第380偈

自分こそ自分の主人、自分こそ自分の拠り所である。だから商人が良馬を調えるように、自分を調えなさい。

第381偈

喜びに満ち、ブッダの教えに心が澄んだ修行者は、つくられたものが静まる、安らかで幸せな境地へ至る。

第382偈

若くてもブッダの教えに励む修行者は、雲を離れた月のように、この世界を明るく照らす。

2626

第26章 聖者

第383偈

聖者よ、勇気をもって流れを止め、欲を追い払いなさい。つくられたものが滅びることを知れば、つくられていない境地を知る。

第384偈

静けさと洞察という二つの道で向こう岸へ達した聖者から、あらゆる束縛は消える。

第385偈

こちらの岸も、向こうの岸も、その両方もつかまず、恐れなく束縛を離れた人を、私は聖者と呼ぶ。

第386偈

瞑想し、汚れなく、心が定まり、なすべきことをなし、欲を離れ、最高の目的に達した人を、私は聖者と呼ぶ。

第387偈

太陽は昼に輝き、月は夜に輝く。戦士は鎧によって輝き、聖者は瞑想によって輝く。目覚めた人は、昼も夜もその光で輝く。

第388偈

悪を遠ざけたから聖者と呼ばれ、穏やかに歩むから修行者と呼ばれ、自分の汚れを追い出したから出家者と呼ばれる。

第389偈

誰も聖者を傷つけてはならない。傷つけられても、聖者は怒りを返してはならない。聖者を傷つける者は災いであり、怒りを返す者にはさらに災いがある。

第390偈

快楽へ向かう心を抑えることは、聖者に大きな益をもたらす。傷つけたい思いがすべて消えるほど、苦しみは静まる。

第391偈

体でも、言葉でも、心でも過ちを犯さず、この三つをよく抑える人を、私は聖者と呼ぶ。

第392偈

完全に目覚めた人が説いた教えを理解したなら、聖者が祭火を敬うように、その教えを心から敬いなさい。

第393偈

編んだ髪によっても、家柄によっても、生まれによっても聖者にはならない。真実と正しさを備えた人こそ、清らかな聖者である。

第394偈

愚かな人よ、編んだ髪や獣の皮が何になるのか。外側を清めても、内側は欲に満ちている。

第395偈

粗末な衣をまとい、痩せて血管が浮き、森で独り瞑想する人を、私は聖者と呼ぶ。

第396偈

母の身分や生まれによって聖者と呼ぶのではない。所有を誇る人は、ただ名ばかりの人である。何も所有せず、執着のない人を、私は聖者と呼ぶ。

第397偈

あらゆる束縛を断ち、もはや恐れず、執着を越え、つながれない人を、私は聖者と呼ぶ。

第398偈

怒りの綱、渇望の革ひも、誤った見方の鎖と結び目を断ち、無知のかんぬきを外して目覚めた人を、私は聖者と呼ぶ。

第399偈

過ちがないのに、ののしり、拘束、暴力を受けても耐え、忍耐を力とし、心の強さを軍勢とする人を、私は聖者と呼ぶ。

第400偈

怒らず、務めを守り、徳を持ち、欲がなく、自らを調え、これが最後の体となった人を、私は聖者と呼ぶ。

第401偈

蓮の葉の水滴のように、針先のからし種のように、快楽にくっつかない人を、私は聖者と呼ぶ。

第402偈

この世にいながら自分の苦しみの終わりを知り、重荷を下ろし、束縛を離れた人を、私は聖者と呼ぶ。

第403偈

深い知識と知恵を持ち、道と道でないものを見分け、最高の目的に達した人を、私は聖者と呼ぶ。

第404偈

家に暮らす人にも、家を離れた人にも寄りかからず、住まいを渡り歩かず、求めるものの少ない人を、私は聖者と呼ぶ。

第405偈

弱い命も強い命も傷つけず、殺さず、殺させもしない人を、私は聖者と呼ぶ。

第406偈

敵意ある人の中で敵意なく、暴力的な人の中で穏やかに、執着する人の中で執着しない人を、私は聖者と呼ぶ。

第407偈

怒り、憎しみ、高慢、軽蔑が、針先から落ちるからし種のように落ちた人を、私は聖者と呼ぶ。

第408偈

真実を語り、役に立ち、荒々しくなく、誰も傷つけない言葉を話す人を、私は聖者と呼ぶ。

第409偈

長くても短くても、小さくても大きくても、良くても悪くても、この世で与えられていないものを取らない人を、私は聖者と呼ぶ。

第410偈

この世にも、その先にも望みを持たず、欲がなく、束縛を離れた人を、私は聖者と呼ぶ。

第411偈

執着がなく、深く知って疑いを越え、死を越えた境地の底に達した人を、私は聖者と呼ぶ。

第412偈

この世で善悪への執着を越え、どちらの束縛も離れ、悲しみなく、汚れのない清らかな人を、私は聖者と呼ぶ。

第413偈

月のように明るく、清らかで澄み、乱れず、快楽を求める喜びが尽きた人を、私は聖者と呼ぶ。

第414偈

越えがたい迷いの泥道を渡り、世の惑わしを越えて向こう岸へ達し、瞑想し、欲なく、疑いなく、執着を離れて安らぐ人を、私は聖者と呼ぶ。

深くぬかるむ泥道を歩き切った旅人が、泥から最後の足を引き抜き、葦の向こうにある乾いた岸へ踏み出している
越えがたい迷いの泥道を渡り、世の惑わしを越えて向こう岸へ達し

第415偈

この世で欲を捨て、家を持たずに歩み、感覚の欲が尽きた人を、私は聖者と呼ぶ。

第416偈

この世で渇望を捨て、家を持たずに歩み、存在への渇きが尽きた人を、私は聖者と呼ぶ。

第417偈

人との束縛を捨て、神々との束縛さえ越え、あらゆる束縛から自由な人を、私は聖者と呼ぶ。

第418偈

快も不快も捨て、心が冷静に静まり、再び生まれる種を持たず、すべての世界に打ち勝った勇者を、私は聖者と呼ぶ。

第419偈

生きものが死に、また生まれる道理をあまねく知り、執着を離れ、善く歩み、目覚めた人を、私は聖者と呼ぶ。

第420偈

神々にも、天の楽人にも、人間にもその行方が分からず、汚れが尽き、完成した人を、私は聖者と呼ぶ。

第421偈

過去にも、未来にも、今にも、何も自分のものとせず、所有なく執着のない人を、私は聖者と呼ぶ。

第422偈

恐れを越えた雄々しい人、気高い勇者、偉大な賢者、勝利を得た人、欲のない人、なし遂げた人、目覚めた人を、私は聖者と呼ぶ。

第423偈

過去の生を知り、幸せな境涯も苦しい境涯も見通し、生まれることを終え、完全な知に達し、なすべきことをすべてなし終えた賢者を、私は聖者と呼ぶ。

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